日本化学会

閉じる

トップ>化学を知る・楽しむ >化学遺産 >第11回化学遺産認定

第11回化学遺産認定

2008年3月発足した「化学遺産委員会」では、2009年度から事業の一環として新たに、世界に誇る我が国化学関連の文化遺産を認定し、それらの情報を社会に向けて発信する『化学遺産認定事業』を開始しております。今まで10回、50件を認定し、日本化学会表彰式において化学遺産認定証を贈呈し顕彰いたしました。

本年度第11回につきましても、認定候補を本会会員のみならず会員以外からも広く公募いたしました。その後、応募のあった候補を含め傘下の「化学遺産調査小委員会」において、委員が認定候補の具体的な内容、現況、所在、歴史的な意義などを実地調査し、調査結果に基づき慎重に検討のうえ4件を認定候補として選考いたしました。さらに、化学遺産委員会では、委員会関係者とは異なる学識経験者で構成された「化学遺産認定小委員会」に審議を諮問いたしました。その結果、4件の候補はいずれも世界に誇るわが国化学関連の文化遺産としての歴史的価値が十分認められ、化学遺産候補としてふさわしいとの最終答申をいただきました。

この答申を受け、化学遺産委員会では4件の関係先に「化学遺産」として認定・登録することについてご承諾をいただき、理事会に諮りました。その結果、認定候補4件いずれも化学遺産として認定することが全会一致で承認されました。今回承認された4件は下記のとおりです。

pamphlet_11.jpg

認定化学遺産 第051号 『タンパク質(チトクロムc, タカアミラーゼA)の3次構造模型』


タンパク質分子の立体構造は、その機能を理解するために必要不可欠であるが、分子サイズが非常に大きく、高分解能の回折像を与える良質な結晶を得ることが難しかったため、20世紀半ばまでタンパク質の立体構造を決定できなかった。1958年にイギリスのケンドリュー(John C. Kendrew, 1917-1997)らが世界で最初にミオグロビンの構造解析に成功したが、それは膨大な時間を要する困難な研究だった。日本で初めてタンパク質の構造解析に成功したのが、大阪大学蛋白質研究所の角(かど)戸(と)正夫(まさお)(1918-2005)らのグループである。彼らは、結晶作りから装置の開発、構造解析プログラムの開発など一連の作業や人材育成を研究所内で一貫して行い、カツオの還元型シトクロムcの構造について、1971年に分解能4Åでの解析、1973年には分解能2.3Åでの高分解能解析に成功した。これは世界で7種類目のタンパク質の構造解析であった。その後、タカアミラーゼAの構造解析を行い、1979年に低分解能の6Åで、1980年には高分解能の3Åで成功した。大阪大学の総合学術博物館と蛋白質研究所に保存されている構造模型4件は、その研究の際に作られたもので日本のタンパク質の構造研究のレベルの高さを示す記念碑的な一次資料であり、化学遺産として認定する。

isan051_article.jpg 化学と工業特集記事

isan051-1.jpgのサムネイル画像 isan051-2.jpg チトクロムc3次構造模型
  左:バルサモデル(4Å)
(大阪大学蛋白質研究所所蔵)
右:ケンドリューモデル(2.3Å)
  (大阪大学総合学術博物館所蔵)
 

isan051-3.jpg
タカアミラーゼA3次構造模型
左:バルサモデル(6Å)
右:ケンドリューモデル(3Å)
(大阪大学総合学術博物館所蔵)

認定化学遺産 第052号 『日本の近代化学教育の礎を築いた舎密局の設計図(大阪開成所全図)』

江戸幕府終末期の1867年に幕府は長崎の分析窮理所からK. W. ハラタマ(K. W. Gratama,1831-1888)を江戸に呼び、江戸の開成所で本格的に西洋式化学授業を行うことにした。ハラタマは本国オランダから実験器具や化学薬品を大量に取寄せ、1868年江戸に移動したが授業することなく幕府が崩壊した。
この時、明治新政府は戦乱を避けて大阪に「舎(せい)密局(みきょく)」を設立すると決め、教頭をハラタマとし、(江戸)開成所の御用掛田中芳男と協力させ、ハラタマの設計で建設から開校まで進めさせた。その舎密局の設計図に当たる「大阪 開成所全図」(以下「全図」と略す)が京都大学大学文書館に保管されている。全図には洋風の「舎密局」本館の階段教室やハラタマの居宅なども認められる。
「舎密局」は1869年6月10日(明治2年5月1日)開校。1872年夏まで3年強の短期間であるが、学生に対して理化総論の実験や講義をハラタマや後任のリッテルが毎日行った。 なお、「舎密局」は、東京の開成所(東京大学の前身)へ機能移転後も、教育拠点として大学分校などを経て第三高等中学校(京都大学の前身)や大阪大学の源流になり、建物は大阪司薬場としても利用された。この歴史的拠点、舎密局の「全図」を化学遺産として認定する。

isan052_article.jpg 化学と工業特集記事

isan052-1.jpg
「大阪開成所全図」


isan052-3.jpg
舎密局(本館)部分の拡大

isan052-2.jpg
舎密局(本館)の写真
(ともに京都大学大学文書館所蔵)

認定化学遺産 第053号 『日本初の純国産「金属マグネシウムインゴット」』

1925年(財)理化学研究所(所長 大河内正敏:現 国立研究開発法人理化学研究所)にて海水(苦汁(にがり))を原料とした溶融電解法による金属マグネシウム生産に関する研究が開始され、1930年、日本で初めて工業生産が開始された。当時、金属マグネシウムは従来からの閃光粉や合金用の原料(主にジュラルミン用)のほか、軽量化が必要な飛行機や自動車の材料として需要が高まりつつあったが、全量が輸入されていた。(財)理化学研究所の製法を採用することで、原料面でも輸入に頼らない純国産の金属マグネシウムの生産が日本で初めて可能となった。また、Mg純度99.8%と海外品に匹敵する品質水準を確保しており、国内の需要に応えるのみならず、英国をはじめ海外にも輸出された。本認定化学遺産は、上記の製法で製品化された金属マグネシウムインゴット2本である。1本は(財)理化学研究所の事業会社である日満マグネシウム(株)(社名変更統合等を経て現宇部マテリアルズ(株))宇部工場にて最初に試作製造に成功したもの。もう1本は、同社の直江津工場で製造されたものである。いずれも現存する純国産金属マグネシウム製品の最古1935年のもので有形の化学工業的所産として極めて貴重である。以上より、日本の化学工業の歴史上重要なものであり、化学遺産として認定する。

isan053_article.jpg 化学と工業特集記事

isan053-1.jpg
日満マグネシウム(株)宇部工場製
金属マグネシウムインゴットの初製品(前)
同社直江津工場製(後)

isan053-2.jpg
木箱の蓋
(ともに幾何学研究所所蔵)

認定化学遺産 第054号 『日本初の西洋医学処方による化粧品「美顔水」発売当時の容器3点』

桃谷(ももたに)政(まさ)次郎(じろう)(1863-1930)は現在の和歌山県紀の川市粉河(こかわ)で江戸時代初期から薬種商を営む家系に生まれた。西洋医学・薬学が重視される世の中になったため、政次郎は家業転換の必要性を痛感し、西洋医学に基づく創薬技術の修得を目指して東京帝国大学桜井郁二郎教授を訪ねた。教授指導の下でいくつかの医薬品を開発するとともに、にきびに悩む妻のために日本で初めて西洋医学処方による薬用化粧水を開発した。帰郷後、妻が試用したところ、その効能が評判となり、1885年に「美顔水」として販売した。政次郎は売薬製造業「桃谷順天館」を創業し、販路を日本全国から海外にまで広げた。
「美顔水」は、当初、医薬品として売り出され、現在でも医薬部外品の薬用化粧水として販売されている。医薬品は明治早々から規制が始まった。一方、化粧品の規制が始まるのは1900年売薬規制外製剤取締規則からである。それ以来、現在に至るまで化粧品は医薬品とともに安全性の面で厳しく規制されるとともに発展してきた。「美顔水」はそのような化粧品工業の方向に先んじた画期的な製品である。(株)桃谷順天館が所蔵する美顔水容器3点は、1885年発売当初の現存資料として貴重であり、化学遺産として認定する。

isan054_article.jpg 化学と工業特集記事

isan054-1.jpg
美顔水容器3点
((株)桃谷順天館所蔵 )