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第10回化学遺産認定

平成20年3月発足した「日本化学会化学遺産委員会」では、平成21年度から事業の一環として、世界に誇る我が国化学関連の文化遺産を認定し、それらの情報を社会に向けて発信する『化学遺産認定事業』を開始、これまで46件を認定し、認定証を贈呈し顕彰いたしました。

第10回目となる平成30年度も、認定候補を本会会員のみならず会員以外からも広く公募し、応募のあった候補を含め委員会で認定候補の具体的な内容、現況、所在、歴史的な意義などを実地調査いたしました。その調査結果に基づき慎重に検討のうえ4件(学術関係2件、化学技術関係2件)を認定候補として選考いたしました。さらに委員会では、委員会関係者とは異なる学識経験者で構成された「化学遺産認定小委員会」に審議を諮問いたしました。その結果、4件の認定候補はいずれも世界に誇る我が国化学関連の文化遺産としての歴史的価値が十分認められ、化学遺産認定候補として相応しいとの最終答申をいただきました。

この答申をうけ、化学遺産委員会では第10回認定候補4件の関係先に対し、日本化学会「化学遺産」として認定・登録することについてご承諾をいただき、本年2月開催の理事会に諮りました。その結果、認定候補4件いずれも化学遺産として認定することが全会一致で承認されました。今回認定されました4件は下記のとおりです。

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認定化学遺産 第047号 『学習院大学南一号館ドラフトチャンバー』

学習院大学南一号館は宮内省内匠寮の設計で、19273月に学習院高等科の「理科特別教場」として建設されたものであり、設計図をはじめ工事録の詳細は宮内庁書陵部に保管されていた。ドラフトチャンバーの取り付けに関する仕様書やガス管の形状や取り付けについての注意点が書かれた記録も現存する。2010-2012年度にかけ改修工事が行われ、現在は主として教室として使われている。

この化学実験用のドラフトチャンバーは、建設当初から出窓式として作られており、排気にも興味深い工夫がなされている。当時は、電動ファン(換気扇)を使わず、チャンバー上部に設置されたガスバーナーで上昇気流を起こし、煙突を通し外部に排気していた。以前、化学遺産に認定された旧第五高等学校(現熊本大学)および旧第四高等学校(明治村に移築保存中)に現存するドラフトチャンバーがアルコールランプを用いているのに対し、学習院大学のものはガスバーナーが用いられている。技術の変遷を知る上でも貴重な施設であり、化学遺産として認定する。

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ドラフトチャンバー
(学習院大学)

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ドラフトチャンバー

(学習院大学)

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ドラフトチャンバー
(学習院大学)

認定化学遺産 第048号 『我が国初のNMR分光器用電磁石』

20世紀後半の分析化学を一言で表せば、機器分析の時代である。機器分析の勃興期、我が国は太平洋戦争終戦後の財政的に厳しい環境にあった。その困難な時代の中、研究者や技術者たちは創意と工夫で科学技術に立脚した現在の日本を築いていったのである。 核磁気共鳴(NMR)の発見は、終戦間もない1946年であった。この困難な時期に創立(1949年)したばかりの電気通信大学で、安定した磁場の電磁石を組み立て、磁気共鳴の信号を検出したばかりでなく、水素、フッ素、ナトリウム、銅、コバルト、燐、臭素、インジウムの原子核の磁気能率を測定した。中でも銅核において世界初の測定を実現したのは、大きな業績であった。 NMRは信号の検出にラジオ波を用いる。NMRが電通大で研究対象となったのは、通信技術を基盤とする大学の成り立ちとも関係するし、初代学長寺澤寛一が、磁場中のスピンの歳差運動に名を遺すジョゼフ・ラーモア(英国ケンブリッジ大学)のもとに留学した経験があったことも要因である。 検出装置は回路図しか残されていないが、電磁石本体はほぼ原形をとどめている。戦後日本の困難な時代を記憶にとどめる歴史的な装置であり、化学遺産として認定する。

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NMR用電磁石
(電気通信大学)

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NMR用電磁石
(電気通信大学)

認定化学遺産 第049号 『島津製作所 創業記念資料館および所蔵理化学関係機器・資料等』

仏具製造業島津清兵衛の次男として生まれた島津源蔵(1839-1894)は、1870年に開設された京都舎密局に出入りし、ドイツから招聘されていたゴットフリード・ワグネル博士の指導を得ながら、教育用理化学器械の製造を始めた。

1875年には家業を離れて独立し島津製作所を創業した。1975年に創業100周年を記念して創業の地、京都木屋町二条に開設された島津製作所 創業記念資料館は、島津製作所の歴史的経緯を語る象徴的な建物である。 ここに収蔵されている理化学器械等は、明治初期からの我が国近代科学の発展を支えたものであり、特に、ワグネル博士が、1881年京都を去る際に、初代源蔵に譲り渡した日本に現存する最古の木製足踏み式旋盤(ドイツ製)や1882年に発行された「理化器械目録表」は明治期の理化学器械製作の状況を伝える貴重なものである。1894年家督を相続した二代目源蔵(1869-1951)も画期的な製品を産み出した。汎用X線装置「ダイアナ号」(1918年)、光電式分光光度計QB-50(1952年)、ガスクロマトグラフGC-1A(1957年)など日本初を含む多数の機器類は日本における化学教育および化学産業の発展に大きく貢献した。ここに示した建物、機器、資料類を化学遺産として認定する。

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初代島津源蔵
(島津製作所 創業記念資料館 蔵)

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ガスクロマトグラフGC-1A
(島津製作所 創業記念資料館 蔵)

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創業記念資料館外観

認定化学遺産 第050号 『銅アンモニウムレーヨン製造装置「ハンク式紡糸機」および関連資料』

旭化成(株)のベンベルグ工場は現在、世界で唯一銅アンモニウムレーヨンとして知られる再生セルロース繊維「キュプラ」を製造する工場である。

1928年にドイツのJ.Pベンベルグ社と旭化成(株)の前身日本窒素肥料との間に技術導入および資本提携契約が結ばれ、日本ベンベルグ絹糸株式会社が設立された。1931年には現在のベンベルグ工場で生産が開始された。第二次大戦中、生産は一時途絶えたが、1947年から復元を開始し、1949年に改良を加えた新型「ハンク式紡糸機」(三菱重工製)が導入された。その後、ホフマン型連続紡糸機への転換が進んだが、ハンク式紡糸機の改良で培われた技術は後の連続紡糸機の高速化技術に受け継がれ、紡糸速度は操業開始時の約30倍に達している。ハンク式紡糸機での生産は、1999年にその役目を終えたが、海外のキュプラ製造会社が次々と生産を停止した中、旭化成がキュプラの製造販売を継続できたのもこのハンク式紡糸機で得られた改良技術に負うところが大きい。

ハンク式紡糸機および1931年操業開始時の最初の糸、1999年のハンク式紡糸機での最後の糸はいずれも日本の再生繊維産業の歴史的経緯を示す資料として貴重であり化学遺産として認定する。

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ハンク式紡糸機

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日本ベンベルグ最初の糸

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ハンク式最後の糸