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第6回化学遺産認定

平成20年3月発足した「日本化学会化学遺産委員会」では、平成21年度から事業の一環として、世界に誇る我が国化学関連の文化遺産を認定し、それらの情報を社会に向けて発信する『化学遺産認定事業』を開始、これまでの5回で29件を認定し、認定証を贈呈し顕彰いたしました。

第6回目となる平成26年度も、認定候補を本会会員のみならず会員以外からも広く公募し、応募のあった候補を含め委員会で認定候補の具体的な内容、現況、所在、歴史的な意義などを実地調査いたしました。その調査結果に基づき慎重に検討のうえ5件(学術関係1件、化学技術関係4件)を認定候補として選考いたしました。さらに委員会では、委員会関係者とは異なる学識経験者で構成された「化学遺産認定小委員会」に審議を諮問いたしました。その結果、5件の認定候補はいずれも世界に誇る我が国化学関連の文化遺産としての歴史的価値が十分認められ、化学遺産認定候補として相応しいとの最終答申をいただきました。

この答申をうけ、化学遺産委員会では第6回認定候補5件の関係先に対し、日本化学会「化学遺産」として認定・登録することについてご承諾をいただき、本年2月開催の理事会に諮りました。その結果、認定候補5件いずれも化学遺産として認定することが全会一致で承認されました。今回認定されました5件は下記のとおりです。

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認定化学遺産 第029号 『早稲田大学蔵 宇田川榕菴化学関係資料』

『舎密開宗(せいみかいそう)』(1837~47)の著者として知られる宇田川榕菴(ようあん)(1798~1846)の化学研究の足跡を示す資料群は、現在おもに武田科学振興財団杏雨書屋(きょううしょおく)と早稲田大学図書館とに所蔵されている。前者は化学遺産第001号として2010年に認定された。校舎は早稲田大学教授で図書館長だった岡村千曳(ちびき)と、同じく早稲田大学教授だった勝俣銓吉郎(せんきちろう)が収集したコレクションである。『舎密開宗』の執筆に関わる草稿や校正本、訳稿等の自筆稿本類をはじめ、化学にかかわりの深い資料を中心として合計38点を化学遺産として認定する。この中には榕菴の生涯を知る一次史料『宇田川榕菴自叙年譜』やエプソム塩(舎利塩:硫酸マグネシウム)を同定したときの感激の様が記された稿本『諳厄利斯瀉利鹽考(あんげりすしゃりえんこう)』、榕菴自筆の彩色のヒポクラテス像なども含まれる。これらの資料は同図書館webページ上の古典籍総合データベースに公開されている。
認定資料:自筆稿本類30点、手沢の蘭書6点、顕微鏡1点、自筆ヒポクラテス像1点。

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化学と工業特集記事

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『舎密開宗 内篇』自筆稿本(1840)
(早稲田大学図書館 蔵)

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『諳厄利斯瀉利鹽考』自筆稿本(1819)
(早稲田大学図書館 蔵)

認定化学遺産 第030号『工業用高圧油脂分解器(オートクレーブ)』

明治新政府は近代国家建設のため、油脂、陶磁器、セメント、染料など、伝統産業の近代化を進めた。油脂化学工業の近代化は油脂の分解による高純度の脂肪酸およびグリセリンを製造する技術の開発からスタートした。1910(明治43)年、小林富次郎(ライオンの創始者)は村田亀太郎(花王の創始者の一人)と共同でライオン石鹸工場(合資)を設立し、当時、ドイツで活躍していた耐食性の銅製オートクレーブを輸入してヤシ油から高純度の脂肪酸およびグリセリンを製造することに成功した。この脂肪酸から日本で初めて水に良く溶ける高品質の洗濯石鹸を製造し、絹織物や毛織物の汚れが短時間で落ちることから広く普及した。
一方、グリセリンについても第一次世界大戦が始まり火薬原料としての需要が増加したため、帝国魚油精製(株)をドイツより銅製のオートクレーブを導入し、対応した。
昭和10年代になって日本でも耐食性のステンレス製のオートクレーブが製造できるようになり、油脂化学工業は一層の進展を遂げた。
今回化学遺産として認定されたライオンのオートクレーブは、現存する国内で最古のもので、油脂化学工業の近代化の創成期を物語る貴重な技術資料である。

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オートクレーブ(1910)
(ライオン(株) 蔵)

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オートクレーブ銘板
(ライオン(株) 蔵)

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植物性ライオン洗濯石鹸ほか
(ライオン(株) 蔵)

認定化学遺産 第031号 『日本の工業用アルコール産業の発祥を示す資料』

工業用アルコールは、化学製品では珍しく世界的に発酵法が主流を占める。日本では主に食品防腐剤、食酢原料、消毒剤、溶剤、化学工業原料として使われ、米国、ブラジルでは、ガソリン添加用として大規模に使われている。
日本では1934(昭和9)年に帝国清酒(株)が流山で初めて無水アルコールの量産に成功し、翌年には昭和酒造(株)が川崎で大規模に生産を開始した。いずれも高橋鉄工所製共沸蒸留法設備であり、製品は合成清酒用に使われた。
その後、日中戦争の深刻化を背景として、米国からの輸入に依存していたガソリンを節約するための代用燃料確保と農村振興を目的に、1937年4月にアルコール専売法が施行された。1938年5月から1942年2月に北海道から九州までイモを原料とする国営13工場が続々と建設され、無水アルコールが大規模に生産されるようになった。この結果、工業用アルコールは代用燃料としてだけでなく、四エチル鉛の生産に使われ、さらにエチレン原料にもなってエチレングリコール、二臭化エチレン、ポリエチレンなど各種新規化学製品が太平洋戦争前や戦中に続々と国産化された。
先行した民間会社の資料は現存しないが、1938年5月操業開始の旧国営出水アルコール工場(現日本アルコール産業(株)出水工場)のもろみ塔、1939年10月開始の旧国営磐田アルコール工場(同磐田工場)の蒸留塔の棚段2点は、工業用アルコール産業の発祥を示す資料として貴重である。

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化学と工業特集記事

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もろみ塔(旧国営出水工場)
(日本アルコール産業(株) 蔵)

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蒸留塔棚段(旧国営磐田工場)2点のうち1点
(日本アルコール産業(株) 蔵)

認定化学遺産 第032号 『日本の塗料工業の発祥を示す資料』

日本には古くから漆塗りや柿渋に代表される塗料はあったが、現在我々が「塗料」と呼んでいるもののほとんどは明治時代以降の洋式塗料である。この国産化は、1881(明治14)年に日本ペイントの前身である光明社が設立されたことに始まる。茂木(もてぎ)春太・重次郎兄弟は1878年に高純度亜鉛華の製法を確立し、翌1879年には洋式塗料である堅練り塗料の製造に成功した。さらに、塗装現場で希釈する必要のない溶解塗料「塗具(ぬりぐ)」を開発し広く塗料が普及する始まりとなった。
光明社は1898年に「日本ペイント製造」と改称し本格的塗料工業へと発展していった。日本ペイントホールディングス(株)には、当時光明社で製造された亜鉛華をはじめ、日本における塗料工業の発祥とその変遷を示す貴重な資料類が保存されている。これらは化学遺産として価値あるものと認められる。

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1881(明治14)年に塗られた塗板見本額
(日本ペイントホールディングス(株) 蔵)

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ボイル油製造設備
(日本ペイントホールディングス(株) 蔵)

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光明社看板
(日本ペイントホールディングス(株) 蔵)

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亜鉛華
(日本ペイントホールディングス(株) 蔵)

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亜鉛華の製薬免許証(1879)
(日本ペイントホールディングス(株) 蔵)

認定化学遺産 第033号 『日本のナイロン工業の発祥を示す資料』

米国デュポン社のカロザース(Carothers)が1935年に発明したナイロン繊維のインパクトは日本にも及び、東洋レーヨン(現東レ)などがナイロンの工業化を図っていた。
戦後まもなく東洋レーヨンはデュポン社とのナイロン技術援助契約を締結し、1951(昭和26)年にナイロン糸の本格生産を開始した。ナイロン製品の反響は大きく「戦後強くなったのは女性と靴下」という言葉を生むほどであった。
静岡県三島市の東レ総合研修センターに多数保管展示されている関係資料の内、特に重要な、1942年に日産5Kgのナイロン6の溶融紡糸に日本で初めて成功した「第一号ナイロン紡糸機」、戦後の本格生産(1952年開始時は日産5トンだったが、5年後13トンまで拡大)に使用された「ナイロン紡糸機TN-2E型紡糸機」(1957)、「開発期のナイロン見本とナイロン製品」などを今回化学遺産に認定した。

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第一号ナイロン紡糸機(1942)
(東レ(株) 蔵)

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ナイロン紡糸機TN-2E(1957)
(東レ(株) 蔵)

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最初のナイロン繊維(1943)とナイロン製品
(東レ(株) 蔵)

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技術援助契約調印式(1951)
(東レ(株) 蔵)