2025年3月,名古屋大学にて開催された海外博士講演会の演者にお声掛けをいただき,自身のこれまでを振り返る機会をいただいた。修士課程の2年生だった2005年当時,「一見,順調そうな自分の人生,本当に自分らしく生きているのだろうか? 留学してみたいな」と漠然と悩んでいた。そんなとき,友人から「海外に行けば? そこで成功できないなら,君はその程度の人ということや」と喝を入れられた。その言葉に背中を押され,「若いし,まだ何にでもなれる。ゼロからまたチャレンジしてみよう」とドイツに渡った。受け入れて下さったF. Glorius先生からの「何でもいいから何か新しいことをやりなさい」という極めてhands-offな言葉に高揚感を覚え,優雅にヨーロッパ生活と研究を楽しもう,と思ったのを覚えている。そんな当初の甘い幻想とはうらはらに,先生には激烈に熱く「君のアイデアで世界を救えるのか?」と問われ続けた。何もうまくいかず,学位を諦めて帰国しようかと迷う時間が続いたが,恩師の内山真伸先生(当時理研)からいただいた「自分を信じてあげられるのは自分しかいない」という言葉を反芻し,コツコツと歩み続けた。結果,ひょんなことから現在も多くの化学者に使われている有機カルべン触媒を見いだすことができ,何とか博士号を取得することができた1)。楽しかったこと以上に,苦しかった思い出が多いようにも思うが,振り返ってみるとそのすべてに意味があったことを今なら理解できる。若い自分の葛藤と一歩踏み出す小さな勇気,根気。そして筆者にチャンスを与えて下さり,支えて下さった人々との時間,その点すべてが線で結ばれ,研究室を主宰する機会に恵まれた。また,あれから20年の時を経て,幸運にも再びドイツと大きく関わることができる機会をいただいた2)。筆者の留学とその後の充実した時間は,人と運に恵まれたことがすべてだと思う。ただ,20年前に「新しいチャレンジ」を自分自身で選択できたことに関しては,当時の自分を褒めてあげたい。
1) K. Hirano et al., J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 14190.
2) https://www.daad.jp/ja/2025/04/16/sieboldpreis-preistraeger-2025/(2025年6月現在)
平野圭一 金沢大学医薬保健研究域薬学系