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第9回化学遺産認定

平成20年3月発足した「日本化学会化学遺産委員会」では、平成21年度から事業の一環として、 世界に誇る我が国化学関連の文化遺産を認定し、それらの情報を社会に向けて発信する『化学遺産認定事業』を開始、これまでの8回で43件を認定し、認定証を贈呈し顕彰いたしました。

第9回目となる平成29年度も、認定候補を本会会員のみならず会員以外からも広く公募し、応募のあった候補を含め委員会で認定候補の具体的な内容、現況、所在、歴史的な意義などを実地調査いたしました。その調査結果に基づき慎重に検討のうえ3件(学術関係2件、化学技術関係1件)を認定候補として選考いたしました。さらに委員会では、委員会関係者とは異なる学識経験者で構成された「化学遺産認定小委員会」に審議を諮問いたしました。その結果、3件の認定候補はいずれも世界に誇る我が国化学関連の文化遺産としての歴史的価値が十分認められ、化学遺産認定候補として相応しいとの最終答申をいただきました。

この答申をうけ、化学遺産委員会では第9回認定候補3件の関係先に対し、日本化学会「化学遺産」として認定・登録することについてご承諾をいただき、本年2月開催の理事会に諮りました。その結果、認定候補3件いずれも化学遺産として認定することが全会一致で承認されました。今回認定されました3件は下記のとおりですが、この内容の詳細は、来る3月21日 9時30分~、日本大学理工学部船橋キャンパスで開催される日本化学会第98春季年会(2018)で「第12回化学遺産市民公開講座」において紹介される予定です。(2018.03.08公開)

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認定化学遺産 第044号 『グリフィス『化学筆記』およびスロイス『舎密学』』

幕末から明治初期にかけての日本への近代化学の導入では、ポンペやハラタマ、リッテルなどによる化学講義が重要な役割を果たした。しかし、アボガドロの分子説を採用していない1860年以前の化学を教えていた。アメリカのW. E. グリフィス(1843―1928)は、1871(明治4)年3月から翌年1月まで福井藩の藩校明新館で物理と化学を教え、化学は1870年にアメリカで出版された教科書George F. Barker著 "A Text-book of Elementary Chemistry: Theoretical and Inorganic"を使った。一方、オランダのP. J. E. スロイス(1833―1913)は、1871年4月に金沢藩の金沢医学館(現在の金沢大学医学部)に着任し、医学やその基礎として化学などを教え、化学は1867年にイギリスで出版された教科書 William A. Miller著 "Elements of Chemistry: Theoretical and Practical"を使った。いずれもアボガドロの分子説に基づいた当時最新の化学を教え、水素や酸素などが2原子分子であることや原子価などについて教え、水の分子式はH2O、硫酸はH2SO4と教えた。原子量も現在に近い値を用いている。両者の講義が受講生により筆記され、その実物資料が福井市立郷土歴史博物館(グリフィス講説、本多鼎介・門野隼雄筆記『化学筆記』)と金沢市立玉川図書館近世史料館(スロイス口授、藤本純吉筆記『舎密学 巻之一、二』およびスロイス口授、藤井貞為筆記『舎密学』)に所蔵されている。これらの筆記ノートは、アボガドロの分子説(1811年)が再評価されたカールスルーエでの国際化学者会議(1860年)から11年後にその説に基づいた当時最新の化学が日本で教えられていたことを示す貴重な資料であり化学遺産として認定する。

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化学と工業特集記事

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グリフィス『化学筆記』

(福井市立郷土歴史博物館 蔵)

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スロイス『舎密学』(藤本筆記)

金沢市立玉川図書館近世史料館 蔵

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スロイス『舎密学』(藤井筆記)

金沢市立玉川図書館近世史料館 蔵

認定化学遺産 第045号 『モノビニルアセチレン法による合成ゴム』

第一次世界大戦中にドイツは世界で初めての合成ゴムとしてメチルゴムを工業化した。天然ゴムは生産地が東南アジ
アに限られるのでゴムは戦略物資として極めて重要であり、合成ゴムの研究は世界各国で続けられた。この結果1920年代末から30年代に現在も大量に生産されるSBR(スチレンブタジエンゴム)、NBR(ニトリルゴム)などの優秀な合成ゴムが発明された。工業化においては、その主原料であるブタジエンの合成法が重要であり、当時はアセチレンや発酵エタノールを原料とする様々な製法が研究された。日本では商工省大阪工業試験所が1938年にアセチレン原料アルコール法ブタジエンの製法(ソ連で開発)を完成させ、1942年に日本化成工業黒崎工場でNBRが工業化された。三井鉱山もアセチレン原料アルドール法ブタジエンの製法(ドイツで開発)を確立し、1944年にNBRの工業生産を開始した。一方、京都大学工学部の古川淳二はモノビニルアセチレン法を発明し、1942年に京都大学化学研究所で工業化試験に成功した。この設備はその後住友化学工業新居浜工場に移されNBRの工業生産に使われた。しかし第二次世界大戦後、日本での合成ゴムの研究・生産は連合軍によって長らく禁止されたため、日本での戦前、戦時中の合成ゴム関係資料はほとんど失われた。その中で古川淳二が保管し、1982年に京都大学、東京農工大学に寄贈した工業化試験資料は、日本での合成ゴム黎明期を示す資料として貴重であり化学遺産として認定する。

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化学と工業特集記事

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合成ゴム資料と古川淳二
(京都大学 蔵)

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京都大学 化学研究所 碧水舎

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東京農工大学 科学博物館

認定化学遺産 第046号 『化学起業家の先駆け 高峰譲吉関係資料』

高峰譲吉(1854-1922)は、高岡で生れ金沢で育った最初期の近代的な化学者で多方面に多くの実績を遺している。工部大学校を卒業し直ぐに英国留学した後、農商務省の役人として日本の化学産業の興業を勧めた。1888年以降は役人を辞め国内で、1890年以降はアメリカに活動拠点を移して国際的に、事業化を徹底的に目指す化学起業家として活躍した。高峰は、小麦糠と米麹の組合せを研究し、強力な消化酵素タカヂアスターゼを安定して取り出すことに成功、医薬としての製造・販売は米国のパークデービス社を通じ、1895年に発売し世界に展開した。その際高峰の強い意向で日本とその近隣を除外し、三共商店(第一三共(株)の前身)が1899年に日本で発売した。このタカヂアスターゼの発見、および高峰と助手の上中啓三によるアドレナリン高濃度抽出・結晶化の大発見(1900)後、発見に終わらせず新薬事業化に向けて自ら、特許出願・特許化、企業との共同開発、登録商標取得、などに取り組み、世界的な医薬とすることに成功した。この2剤の古い薬瓶・外箱、タカヂアスターゼ関係特許証(米8点、1891-1896)、パークデービス社関係の書簡類68点、タカヂアスターゼ商標登録証(1909)、アドレナリン関係特許通知(ベルギー、独、伊、加、4通、1901-1903)、顕微鏡(高峰研究所)が、高峰と関係の深い国内2か所に今も遺っている。高峰の化学起業家の先駆けたる所以を示すこれらは、特に貴重な資料であり化学遺産として認定する。

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化学と工業特集記事

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高峰譲吉

(金沢ふるさと偉人館 提供)

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タカヂアスターゼ薬瓶 (1909年発売品)

(第一三共株式会社 蔵)

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タカヂアスターゼ外箱
(1932~1945年販売品)

(第一三共株式会社 蔵)

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アドレナリン薬瓶(1913~1932年販売品。栓、内容物も)

第一三共株式会社 蔵

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タカヂアスターゼ商標登録証(1909)

(金沢ふるさと偉人館 蔵)

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顕微鏡 (高峰研究所、SPENCER LENS CO., Buffalo N.Y.)

(金沢ふるさと偉人館 蔵)