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第14回化学遺産認定

公益社団法人日本化学会は、化学と化学技術に関する貴重な歴史資料の保存と利用を推進するため、2008年度より化学遺産委員会を設置し、さまざまな活動を行ってまいりました。「化学遺産認定」は、それら歴史資料の中でも特に貴重なものを認定することにより、文化遺産、産業遺産として次世代に伝え、化学に関する学術と教育の向上および化学工業の発展に資することを目的とするものです。本年は第14回として、ここにご紹介する4件を認定いたしました。

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認定化学遺産 第061号 『アジア初のノーベル化学賞:福井謙一関係資料』


福井謙一(1918-1998)は1938年に京都帝国大学工学部工業化学科に入学した。学部時代に当時新しい学問であった量子力学について独学による勉強を開始した。卒業研究ではパラフィン系炭化水素と五塩化アンチモンの反応性を取り上げ、1941年に卒業後、大学院進学とともに勤務した陸軍燃料研究所ではn‐ブタノールを出発原料とするオクタン価の高い航空燃料の合成に成功した。戦後の1951年には京都大学工学部燃料化学科教授に就任し、その1年後の1952年に米国の学術雑誌に発表した「フロンティア軌道理論」(当時は「フロンティア電子理論」と呼んだ)は共役系分子の化学反応性の解明にとって大きな足跡となった。これが「化学反応の理論的解明」による1981年のノーベル化学賞受賞に至る研究の端緒となった。
福井の研究の特徴は、当時先端的な物理理論であった量子力学を化学反応理論に用いてその適用可能範囲を広げつつ、豊富な実験的知見を背景としながらフロンティア軌道理論の有効性を実証していったところにある。初期の理論研究では計算尺や機械式の計算機が用いられた。
また多くの実験研究も行っており、理論展開を示す研究メモのほかに、合成研究や海外の化学工業製品の特許に関する多くの研究メモも残されている。
これらは日本のみならずアジアで初めてのノーベル化学賞受賞者である福井謙一の学術活動を偲ばせる資料であり、化学遺産として認定する。

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福井謙一

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初期の理論研究に用いた計算尺


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理論研究メモ

(肖像写真を含めて京都大学福井謙一記念研究センター所蔵)

認定化学遺産 第062号 『群馬大学理工学部染料コレクション』

染料コレクションは、桐生高等染織学校が設立された1915年から桐生高等工業学校を経て群馬大学工学部となる直前の1946年頃までの約30年間に、ドイツ、スイス、米国、日本等から収集された合成染料4390点から成っている。
染織学校における染色実習教育では、染める繊維の種類、染色方法を考慮しても10種類程度の染料を、500gや1kgビン入りで使ったものと考えられる。それに対して、このコレクションは、50g小ビン入りが多く、しかも非常に多種類であることから、染色実習教育の使い残し品ではなく、将来有望なユーザーを輩出する桐生高等工業学校に出入りの商社・代理店が染料メーカーの新製品の試供品を配布した結果、生まれたものと推定されている。
1990年の工学部創立75周年事業で染料コレクションは整理されて工学部同窓記念会館に保存された。さらに2005年の創立90周年事業で検索システムが整備され、その後スペクトルデータベース構築等も進められている。
合成染料は、有機化学発展史の上からも、また化学産業史の上からも重要な位置を占める。現在では製造されなくなった染料や、今では存在しない著名な染料会社の製品も多数含まれ、日本全国でも、また世界でも類を見ない貴重なコレクションであり、化学遺産として認定する。

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群馬大学工学部同窓記念会館内染料コレクション(一部)

(群馬大学 所蔵)

認定化学遺産 第063号 『京都舎密局関連資料』

京都舎密局は、明治維新後、東京遷都によって沈滞した京都の産業振興政策の中核として1870年に京都府によって開設された。設立中心人物は京都府大参事(1875年から知事)槙村正直、直接担当したのは明石博高である。石けん製造、氷砂糖、さらし粉、各種薬品、陶磁器、ガラス、織物等を製造し、鉱泉分析も行い温泉の効用を説いた。また初代島津源蔵が外国器械の修理などの仕事を引き受け、島津製作所の基礎を築くなど、京都の産業復興に大きく貢献した。さらにオランダ人薬学者ヘールツ、ドイツ人化学者ワグネルを迎えて化学・薬学教育を行い人材育成にも貢献した。しかし、1881年に知事が代わると京都府の産業振興政策が転換され、京都舎密局は廃止された。
京都府所蔵(京都文化博物館管理)の京都舎密局看板2点、化学実験図、化学式、鉱泉分析表等の版木19点と、国際日本文化研究センター宗田文庫所蔵の金属標本4点は京都舎密局の活動を示す数少ない貴重な実物資料であり、化学遺産として認定する。

isan063_article.jpg 化学と工業特集記事

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看板(京都府所蔵)

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版木からの印刷物
反応式 2HCl+Zn→ZnC2+H2
(版木は京都府所蔵)

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棒状錫と明石名の包み紙
(国際日本文化研究センター所蔵)

認定化学遺産 第064号 『日本の無機フッ素化学品製造関係資料』

日本のフッ素化学工業は、第一次世界大戦の影響で輸入が途絶えたフッ化水素酸を、1917年に森田製薬所(現森田化学工業(株))を創業した森田鎌三(1892-1965)が、大阪·住吉区田辺町で製造販売を開始し始まった。月4kg程度製造し500gを鉛瓶に詰めて売った。当初の需要はガラス製品への文字入れや模様入れに限られ、フッ素系など化学試薬多数も製造し販売した。その後、白熱電球のすりガラス用の用途が急増し競合社が増えたが、森田化学は新工場建設(1926年布施、1960年神崎川、1970年堺など)と増産で無機フッ素化学品製造業界をリードした。現在は、フッ化水素酸の製造は原料生産国の中国で合弁会社で行われ、国内製造を停止したが、フッ素化学品用途はその後も拡大し続けている。
毒性が高く、危険で取り扱いが難しいフッ化水素酸を日本で初めて製造し、フッ素化学品の製造も手掛けてきた企業が、初期には、製品の多様化、品揃えでフッ素試薬の専門会社として定着し、後には拡大する需要に新工場建設・増産でフッ素化学業界をリードしてきた。その様子を現在に伝える以下の資料を、化学遺産として認定する。

  • 『年記』および『RECORD No.1』(大学ノート2冊)
     創業期の装置図、生産概要。製造記録など
  • 「図面」資料集(ファイル2冊)1951年頃
  • フッ化水素酸製造装置(1973~2005稼働)の記念モニュメント(装置の部分保存)と精留塔の充填材

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『年記』ノート :創業期の装置図

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表紙(部分)

(森田化学工業株式会社 所蔵)