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30年後の化学の夢ロードマップ

公益社団法人日本化学会 戦略企画委員会、学術研究活性化委員会、「化学の夢ロードマップ」作成WG

目次
はじめに
「化学の夢ロードマップ」緒言
ロードマップ図
各分野のまとめ


はじめに: 化学の挑戦と人類の文化

この一世紀の間に、量子化学、空中窒素固定(アンモニア合成)、ポリエチレンやナイロン、導電性高分子、不斉医薬合成、酵素触媒・光触媒、化学反応(クロスカップリングなど)、フラーレン・ナノチューブ・グラフェン、原子/分子計測・分子イメージング、太陽電池・蓄電池・燃料電池など、化学においてめざましい発見や発明がなされ、その成果を活かして多くの優れた技術が生まれ豊かな社会を実現してきた。科学・技術は、先人の成果の上に新しい発見・知見・方法を積み上げる創造的な英知であり、人類が共有する文化であり、社会への最大の貢献である。人類社会は、有限の地球上における資源の不足・枯渇、エネルギー問題、気候変動や環境劣化、水や食糧問題、医療・健康・安全、新興・再興感染症、大災害等をはじめとする解決が困難で深刻な様々な問題に直面している。これら国家的課題の解決には化学を基盤とする多角的視点からの多様な先進的かつ統合的研究が必要である。
公益社団法人日本化学会は、2009年2月に『化学レポート2008』を作成し、化学を核とした科学・技術の専門家集団であり公器としての役割を担う「社会のための学会」としての立場から、化学・技術と社会の関わりにおいて「解決すべき課題と今後進むべき方向」を広く社会に提示した。日本化学会は、我が国の科学・技術の発信、評価、社会還元、普及・啓発、人材育成、情報提供、国際交流、知財の保護など、公益社団法人としてこれまで以上に「社会のための日本化学会」としての責務を果たすことが求められる。
化学はそれ自身重要なディシプリンとして、一方で多くの分野の発展を支える基盤科学として大きな役割を果たしており、化学は21世紀のCentral Scienceとして、科学・技術による力強い日本の構築と持続的人類社会の発展に貢献できると期待されている。
 日本学術会議第三部(理学・工学)(部長(2008-2011年):岩澤康裕)では、我が国初の『理学・工学分野における科学・夢ロードマップ』を作成することを決定し、2010年4月、第三部に設置された理学・工学系学協会連絡協議会に参加している約70の学協会に協力を要請した。本会将来構想委員会(2010年度)ではその要請を受けて、学術研究活性化委員会に検討を付託し、各部会・ディビジョンの協力も得ながら、化学分野の夢ロードマップを作成し2011年3月に日本学術会議に提出した。本会では30年後の化学の夢ロードマップの課題をより具体的に提示するために、学術研究活性化委員会の下に化学の夢ロードマップ作成WGを設置し検討を重ね、部会・ディビジョンからの提案も受け、若手~中堅研究者を中心に執筆を依頼し原案を作成した。さらに戦略企画委員会(2011年度)での検討を経て、『30年後の化学の夢ロードマップ』がまとめられた。
ここでまとめられた化学の夢ロードマップには様々な夢が落ちていると満足されない方々もいると思うし、10年後にはまた新しい夢が生まれたり消えたりする可能性もある。それぞれの立場で適宜追加したり入れ替えたりして、ブラッシュアップ、バージョンアップされてもよい。本ロードマップは、化学分野全体の将来の夢をとりまとめた最初の試みとして、各分野相関でも俯瞰的にも大きな意味があると考える。
化学が抱える今後の課題として我々がどのようなものを考えているか、それに対して化学がどのような解決策を提示できると考えているかを示すことにより、政策担当者や国民の皆様、他分野の専門家の方々が今後の科学・技術の方向を考える際に、貴重な題材となると信じる。我が国の科学・技術が一層振興し、持続可能な社会を支える人材の育成と増進が図られ、化学を通して我が国の力強い将来が構築されることを願う。


2012年2月
公益社団法人 日本化学会
会長 岩澤 康裕



「化学の夢ロードマップ」緒言

 科学の研究とは、峻険な高峰を一歩一歩登る登山にも譬えられよう。研究者は遥か遠くに目指すべき峰を仰ぎつつ、危険な山道をひたすらに登ってゆかねばならない。それゆえ科学者は、遠い目標を見透かす目と、足下を確実に見つめる目の両方を併せ持たねばならない。
 しかし科学研究の道のりは、登山同様いつ足を踏み外すともしれない危険に溢れている。足下の岩場のみを見つめて山を登っているうち、研究者が本来到達しなければならない大きな目標を見失うようなこともなしとしない。特に現代は、情報過多という深い霧に包まれて、目指すべき峰を見誤りやすい時代ともいえよう。
 また化学というジャンル自体、ひとつの転換期に差しかかっているという見方もなされている。Nature誌は2006年、「What Chemists Want to Know」と題する論説を掲載した。編集者Philip Ballが各国の著名研究者にインタビューしてまとめたこの文は、「化学は終わったのか?」という衝撃的な邦題がつけられ、Nature Digest誌にも掲載された。著者Ballはこの中で、いくつかの著名な大学の化学科が閉鎖あるいは組織変更を余儀なくされていること、米国化学会さえ「分子科学工学会」と名称を改め、イメージ刷新を図る動きがあったことを指摘している。化学は分野ごとにバラバラになって他の学問ジャンルに吸収され、アイデンティティを失いつつあるのではないか?化学が解くべき「大きな命題」はもはや残っていないのではないか?この大胆な仮説から出発した当該記事は、各国で大きな反響を呼んだと聞く。
 これと別に、我が国特有の事情も指摘される。明治期以来、日本の科学は欧米からの急速な知識吸収に努め、戦後は「追いつき追い越せ」という単純明快な目標に沿って学問レベルを上昇させてきた。特に化学分野においては、日本のレベルは欧米に肩を並べ、あるいは追い越すところまで伸びてきたことは多くが認めるところであろう。これは、2000年以降日本人のノーベル化学賞受賞者が6名に及び、全体の2割を超える水準に至っていることにも表れている。
 こうして世界のトップレベルに立った日本の化学は、欧米の物真似でない独自のコンセプトを打ち出し、この分野をリードしていくことが求められている。単純に先達の背中を追いかけ、キャッチアップだけを目指していればよい時代でないとは随分以前から言われていることではあるが、十分にそれを果たせているとはまだ言い難い。こうした「先行するトップランナーがいなくなった」ことも、我々の目指すべき目標が設定しにくくなったひとつの要因に挙げられるかもしれない。
 ただしこうした混沌状態は、化学者が将来に向けて行く手を見据え直すための、またとないチャンスと捉えることもできよう。この「化学の夢ロードマップ」は、そうした研究者たちの夢を再設定する試みとして企画された。「夢」といっても単なる夢想やおとぎ話のようなものではなく、しっかりとした現状認識と将来展望に裏付けられた、科学的基礎に立脚したものでなければならないことはいうまでもない。今から30年後までに、いったいどのようなテーマが研究され、どれだけのものが現実になっているか。また社会の要請に応え、どのような課題に取り組み、どこまでを実現せねばならないか。今後この時代を背負ってゆくであろう若手の精鋭を中心にこの命題を託し、各分野を執筆していただくこととした。
改めて述べるまでもなく、現代の人類は資源枯渇・人口爆発・気候変動・環境問題など多くの課題を抱えており、その解決は焦眉の急となっている。そしてこれらの諸問題は、いずれも化学に深く関わっていることが指摘される。化石燃料や原子力に代わるエネルギーの確保、気候変動に対応するライフスタイルの提案、生存に必須である水や食糧の供給、安定供給が困難な希少元素の代替、各種汚染物質の低減手段、生活必需品の安定供給など、いずれも化学がその解決手段を提供すべきテーマに他ならない。これら諸問題の解決は化学者にとっての「夢」であると同時に、課せられた重要な「責務」であるともいえる。
本ロードマップでも、特にエネルギー・資源・環境・材料などの各分野で、前述の諸問題に立ち向かう優れた提案がいくつもなされた。太陽電池などの新エネルギー源、希少元素代替のための方法論はもちろん、遺伝子組み換え技術のもたらす社会的影響への配慮など、真剣に未来を見据えた提言が数多く含まれている。これらは今後の化学の行く末を考える上で、重要な議論の足場となってゆくであろう。
こうした課題解決型のサイエンスの重要性は論を待たない。しかし一方で、バランスの取れた健全な学問の発展のためには、純粋な知的好奇心に基づく研究もまた欠かせない。一見実生活の役に立ちそうにもないクラゲの発光メカニズムの研究が、GFP技術という形で生物学に革命的進展をもたらしたように、ブレイクスルーは常に予期せぬ分野から現れる。
本ロードマップにおいても、若手の柔軟な頭脳から生まれたユニークな提案がいくつも見られた。顕微鏡下における分子の自在組み立て、地球健康診断、バイオ太陽電池などはその最たるものであろう。
本ロードマップでは、こうした異分野の方法論、レベルを異にするアイディアをあえて同列に並べ、バラエティ豊かなままに提示した。これは、今後本書を手に取る研究者の感性を刺激し、新たな発想の素地になることを期待したためでもある。
一方で、現在行われているそれぞれの分野の研究がどう発展してゆくか、現段階で見通しておくこともまた重要であろう。
 未来の30年を精度よく見通す最良の手段は、過去30年の省察から生まれる。今から30年前は、2010年ノーベル化学賞の対象となったクロスカップリング反応の研究が、まさに最盛期を迎えている時代であった。そのひとつの完成形といえる鈴木-宮浦カップリングは、1979年に発表されている。
触媒的不斉合成もこの時代に盛んであった研究テーマであり、野依良治によるBINAPの報告、香月勗とK. Barry Sharplessによる不斉エポキシ化反応の報告がいずれも1980年のことであった。これら30年前に大きく発展したジャンルは、21世紀の現在もなお絶え間ない発展のさなかにある。その他、超分子化学・遺伝子組み換え技術などもこの時期から今に至るまで新たな展開が生まれ続けており、優れた研究の芽はこうして長く伸び続けるという好例といえるであろう。現代におけるこうしたテーマは何であるのか、識者の鋭い目で選別していただいた。
 しかし現代の研究の進歩はさらに加速しており、あるいは過去30年分の進歩は、今後10年で達成されてしまうようなことも起きうる。30年後には、今の科学では全く想像もつかないような研究テーマが主流を占めているかもしれず、むしろそうした状況こそ望ましいともいえよう。それでも、ここに記された様々なジャンルの「化学の夢」は、今を生きる化学者たちの道しるべになるものと確信している。
 19世紀後半にベンゼンの構造が解明されたとき、「これでもう有機化学には発見すべきことは全く残っていない」と漏らした化学者がいたという。彼の感想が全く当たっていなかったことは、その後の化学界の大発展をみれば明らかである。まして現代の化学は、百花繚乱ともいうべき豊穣な領域に他ならない。本書で予測した2040年には、化学者たちの新たな夢はさらに華々しく花開き、人類に多大な貢献をしているであろう。このロードマップが広く手に取られ、若い化学者たちの新たなエネルギーを呼び起こす、よき起爆剤になることを心から期待する。

 

2012年2月 中村栄一


化学の夢ロードマップ・全体俯瞰図(マップをクリックすると拡大します。)
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化学の夢ロードマップ・分野別(各マップをクリックすると拡大します。)
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各分野のまとめ
有機化学分野の「化学の夢」
無機化学分野の「化学の夢」
生化学分野の「化学の夢」
物理化学分野の「化学の夢」
ナノテクノロジー分野の「化学の夢」
未来課題分野の「化学の夢」
エネルギー・資源分野の「化学の夢」
環境分野の「化学の夢」
医療・健康・安全・安心分野の「化学の夢」
材料科学分野の「化学の夢」



有機化学分野の「化学の夢」について


有機化学分野の「化学の夢」
 化学は実用的な面から我々の日常生活を支える基盤技術であるとともに、物質の関わるさまざまな事象を原子レベルで解明する基礎科学としても果たす役割は大きい。本項では特に基礎科学としての視点から有機化学の30年後の姿を展望する。

有用物質生産のための新合成手法
 有機化合物が、我々の生活の基盤を支える基本的な化合物群であり続けることは、30年後も間違いない。この有用な化合物群をいかにして合成するか、すなわち物質生産の方法論の開発研究は、社会的な要請に対応して発展してきている。30年後の物質生産法として確実に要求されることは、貴重な有機資源を無駄なく効率よく利用する合成法の確立、反応の超効率化による廃棄物及びエネルギーミニマムな合成法の確立、ユビキタス金属や非金属触媒を用いる合成法の確立、また化石資源以外の有機資源の活用等、現代の我々が課されている制約に応えうる、新たな独創的な物質合成の方法論の開発である。このような観点から、炭化水素類を出発物質として用いる物質生産法の確立は至上命題であり、例えば炭素?水素結合や炭素?炭素結合等の不活性結合の革新的な自在変換法の実現が望まれる。また例えば加水分解反応など基本的な反応を最小限の廃棄物及びエネルギーで推進することのできる超効率的・汎用的な触媒反応の実現も重要な課題である。いずれにおいても鍵を握るのは、高度な分子設計に基づいた高機能触媒の開発である。
また、貴金属類は多くの反応の鍵を握る遷移金属触媒の中心元素であるが、近年これらレアメタルは供給構造の脆弱さが大きな問題となっている。これらを安価で入手容易な金属(ユビキタス金属)触媒に代替すること、さらには金属を用いずに生体分子を凌駕する高い特異性、選択性を持つ触媒系を構築することも、これからのものづくりの基盤を支え続けるためには緊急の課題である。ここでは有用物質生産に結びつくことが期待されるいくつかの合成手法の夢を示した。

物質合成の合成戦略
 物質合成の方法論の展開とともに、実際に有用化合物を合成するための合成戦略も物質生産の観点からさらに進化し続けるであろう。天然有機化合物や構造的に興味深い化合物、人知を尽くして設計した機能性物質等、標的化合物の高度化、複雑化はさらに進むと考えられる。また後述するように天然有機化合物の探索などからも思いも寄らない新たな標的が登場し研究者の好奇心を刺激し続けるであろう。このような化合物群を生物が創るよりも効率よく、自由自在に合成することのできる合成戦略の実現により、新しい生物活性を持つ多くの分子の創出が可能となる。これにより天然物を超える活性を持つ人工分子、生命の理解と制御に貢献する新しい試薬や、臨床的に価値ある医薬の提供が期待される。

ボトムアップ集積化による電子材料合成
 有機化合物の多様性を科学技術に活用する重要なアプローチとしてナノスケールの分子デバイスの開発を目指した研究が今後重要性を大きく増していくものと考えられる。現時点では機能性分子素子をナノサイズの空間に効率よく接続する技術はなく、これが分子エレクトロニクスを実現する際の最大のボトルネックとなっている。今後物質合成の究極的な姿として、例えばナノメートルスケールの電子回路をオングストロームスケールの有機分子からボトムアップ的に作製する手法を実現することで、従来の高エネルギーを消費する微細加工装置や高価なレアメタルに代わり安価な反応装置(ビーカーやフラスコ)と有機分子による集積化が可能となり、製造コスト・エネルギーを大幅に削減できると共に、環境にも優しい革新的技術となると期待できる。

ゲノム情報に基づく天然物の探索と生産
 新たな医薬品のリード化合物としての天然有機化合物の役割は今後も重要な位置を占めるものと考えられる。近年、遺伝子情報から天然物(低分子化合物)情報を見出すことが可能になりつつあるが、そのためには生合成機構の解明が必須であり、遺伝子情報と生合成酵素そして最終代謝産物の構造情報との相関付けが必要となる。今後この技術が確立されれば、これまでの探索で見出されてこなかった単離困難な天然物の存在も予測できる。また、天然物の意義、なぜ、どのように生き物が作り出して来たのか、といったことも遺伝子配列に基づいた進化論的な解析から明らかになる。これらは有用な物質を天然から見出すまったく新しい手法であり、さらに異種発現系を自在に操ったタンパク質発現系を確立することにより、遺伝子情報に基づく有用物質生産も可能になる。

生命の起源
 基礎科学的な有機化学の立場からのアプローチが必要な課題として、有機化合物の「不斉の起源」の問題がある。生命の誕生の鍵を握る現象であり、有機化学に限らず広範囲にわたる諸説が存在するが、一つの強力な仮説として円偏光や水晶、隕石に含まれるアミノ酸が不斉の起源として働いた可能性がある。前生物的な環境下で生成する生体関連分子の不斉自己触媒反応の開拓により、原始の地球上で起こった不斉分子の化学進化をフラスコ内で再現することが実現可能となり、生命の起源の解明に繋がることが期待される。

まとめ
 有機化学の関わる科学技術は多岐にわたり、ここではそのごく一部を取り上げた。多様な応用科学の基盤を支える有機化学は基礎科学の観点からその重要性が極めて高い。本質を深く掘り下げる学術研究が、結果としてその応用面での飛躍的な発展を支える基盤になるものと確信する。



無機化学分野の「化学の夢」について

無機化学分野の「化学の夢」
 無機化学分野では、バイオミネラリゼーションからヒントを得て意のままに物質・形態合成を行う技術、反応触媒や高機能材料を自在に設計・合成・大量生産する技術、あらゆる分子の立体構造を決定できる解析法の創成、バイオの力を用いて元素回収・環境浄化を行うことなどが、是非とも実現したい化学の「夢」として挙げられている。いずれも、20世紀型エネルギー・資源大量消費社会から持続可能な太陽利用・低炭素社会への革新的転換に貢献したいと願う化学者の「夢」である。

生物無機化学
 生命が数十億年をかけて育んできた能力や仕組みに、人類が学ぶところは極めて大きい。例えば生物は各種の無機元素を取り込み、骨や歯はもちろんのこと,貝殻や真珠,珊瑚,棘皮動物(うに,ヒトデ等)の硬い体,走磁性細菌が持っている磁石,カヤの葉の鋭利なシリカなど無機材料を巧みにつくって利用している。このプロセスをバイオミネラリゼーション(生体鉱物化)といい、省資源、省エネルギー型の環境に優しい化学プロセスであるため、これを見習って人工材料のサステナブル合成法の創製に役立てたいという「夢」がある。
バイオミネラリゼーションの分子レベルの本質は未だ不明な点も多く、今後解明の努力が必要である。新しい材料合成技術を開発して、分子バイオニクスを応用した形態合成・集積・複合階層構造構築技術を確立して行くことにより、ゆくゆくは生物を超える機能を発現できる電子・光学デバイスやマイクロマシンなどが様々な応用分野で実現していくであろう。
アパタイトに代表される無機生体材料も、高齢化社会の中でますます重要性が増してくる。ナノオーダーで複雑な形態を持つ材料と生体との界面制御を行って、材料から生体内へシグナル伝達することが可能になれば、外部から挙動がコントロールできる人工臓器の開発につながる可能性がある。
また生物の持つ元素取り込み能力を活用し、汚染環境中や廃水中の重金属イオンや有害無機イオンを機能性無機微粒子に変えて利用し、元素資源の確保や環境浄化を目指していくことも重要な「夢」である。これを実現するには、鉱物化機能を有する微生物の探索、生体関連分子の探索、金属イオン輸送・酸化還元に関与する生体分子種の同定と反応系の解明、合成微粒子の機能性評価と解析など、研究すべきことは山積している。しかし、これは化学者の大きな使命のひとつでもあり、取り組み甲斐のあるテーマといえよう。

配位高分子
 金属イオンと有機配位子との自己組織化で組み上がる配位高分子(金属有機構造体)の化学は近年発展が目覚ましく、様々な応用が考えられている。気体の貯蔵・分離などはすでにかなり研究が進められているが、ここでは触媒設計及びレアメタル回収に応用する「夢」が提案された。
様々な反応触媒を自在に設計・合成・大量生産する技術は、化学者の一つの「夢」である。未来のエネルギー・環境・医療分野への幅広い応用が期待できる触媒は、触媒サイトの精密な時空間制御とともにイオン、分子等を自己組織的に集積化したものになるであろう。格子状ナノ空間材料の内部に、金属触媒サイトを数や位置を規制して導入することが自在にできるようになると、触媒反応効率が既存の触媒に比べて100倍以上に達する新しい触媒ができる可能性がある。
 また、配位高分子の高い貯蔵能力と、柔軟に構造設計が可能である点を生かせば、選択的な元素の吸着・回収が可能となるだろう。特に現在枯渇が懸念される各種レアメタルを、廃液や海水から抽出できるようになれば、これらが重要な資源となり、安定的に市場に供給・リサイクルできるシステムの構築が可能となる。元素選択性の高い配位高分子の設計、耐久性の向上、レアメタルの回収法など課題は多いが、豊富な都市鉱山と海水に恵まれた我が国にとっては、実現が大いに待たれる課題と言える。

自己組織化を利用する構造解析
 有機小分子から核酸・タンパク質に至るまで、あらゆる分子の精密な構造の決定は化学者の「夢」の一つである。これを実現する新しいNMR立体構造解析法の開発のために、磁場配向性分子と解析分子を結合した分子に変換して磁場配向誘起を可能にする技術の開発が不可欠である。有機小分子から生体高分子に至るあらゆる分子をテーラーメイドに認識する自己組織化分子を意のままにつくる方法論の開発が進めば、夢の実現はそう遠くはないかもしれない。

無機材料設計・合成
 大きな可能性を秘めた各種の無機材料を、意のままに設計・合成することは、科学者にとって極めて大きな「夢」である。望みの反応を実現する触媒の設計には、金属酵素をモデルとし、その活性中心を抜き出して人工の物質として再現するアプローチが提案された。例えば安定なポリオキソメタレートなどに酵素の活性中心を埋め込み、安定な無機化合物をベースにその機能を自在に引き出すことができれば、触媒の設計という重要な分野は新たなステージを迎えることとなろう。
 高度情報化社会の進展に伴い、高密度情報記録媒体のニーズは増す一方である。最近、量子磁石の可逆的スイッチングが成功しており、これを情報記録に応用できれば、1分子を1ビットとする媒体が実現することとなる。高いブロッキング温度を持つ量子磁石の開発、情報の読み取り技術などが必要となるが、未来のデバイスとして大いに夢が持てる。
 金属酸化物は高温超伝導、光触媒、超巨大磁気抵抗効果などの類い希な機能を示す素晴らしい材料であるが、いまだ機能の設計・構造の制御が難しい領域でもある。シンクロトロン光を用いた解析手法と、酸化物分子線エピタキシーによる合成手法を一体化し、今までにない物質設計を可能とする手法が提案されている。この手法が進めば、今までにない物質を生み出すための力強いエンジンとなろう。

まとめ
 無機化学分野は、材料科学・超分子化学・生化学など実生活に大きな影響を与えうる分野に対し、重要な基盤を提供する。鍵を握るのは、高度な制御のもとに原子や小分子を積み上げ、自在に意図した機能性材料を構築する技術であろう。すでに多くの分野でこうした高度制御技術の萌芽が見られており、今後ますますの進展が期待される。



生化学分野の「化学の夢」について

生化学分野の「化学の夢」
 近年の生化学分野は、従来の古典的な生化学の枠を超え、化学と分子生物学・細胞生物学との融合へと歩み出した。これは、「化学」という人工的で自由度の高いツールが、これまでの既存の生物学の枠内ではわかり得なかった生命活動の詳細を解明するのに非常に役立つことに多くの科学者が気づき、それらを融合することに努力を続けてきたからに他ならない。このような時代の流れに伴い、これまで「バイオケミストリー」と呼ばれていた研究の多くは、「ケミカルバイオロジー」と名を変えて呼ばれるようになった。また、この10年で「ケミカルバイオロジー」あるいは「化学と生物学の接点」を全面に押し出した関連研究誌も数多く発刊された。この研究の潮流は、生物学の先、すなわち医学との融合に進展していくものを考えられ、従来の古典的な薬学を超える概念をもった「ケミカルメディシン」へと進化を遂げることが予想される。化学をツールとしたケミカルバイオロジー研究により、多くの生命活動の詳細が分子レベルで理解され、さらには薬剤開発や再生医療等に寄与できるケミカルメディシンへとつながることで、人類の生活と健康に大きく貢献できることが本分野の「夢」といえる。

タンパク質化学
 タンパク質化学は、バイオテクノロジーの発展や薬剤開発に多大な寄与をしてきた研究領域である。近年は、ケミカルバイオロジー研究の進展と共に、蛍光プローブや生体環境下でのタンパク質ラベル化技術の開発が進み、細胞内外の様々なタンパク質の局在化やフォールディング、複合体形成の挙動を分子レベルで、さらにはリアルタイムで解明しようという試みが盛んに行われている。とはいえ、これまで開発された技術は万能ではなく、細胞内の極微濃度のタンパク質でも感度よく検出可能な技術の開発や信頼度の高いハイスループットスクリーニング技術開発の継続は不可欠である。また、抗体医薬に代表されるタンパク質製剤の開発やそれに代わる新規バイオ医薬品も、今後の新規医薬品開発には必要不可欠である。そのためにはタンパク質の構造と機能の相関をより高次元で理解し、高精度且つ高速度で構造や機能・作用機序を予測する方法論の確立も夢である。
 また超好熱菌や高度好塩菌のような極限環境微生物は、これまで知られていないような耐久性を持つため多方面への応用が期待される。またその環境耐性のメカニズム解明は、新たな機能性タンパク質創造のアシストにつながると期待される。

細胞
 細胞内での生命活動は、突き詰めれば、生体分子の化学的な反応と相互作用で説明できるはずである。しかし、様々な生体分子の化学反応と相互作用が、同時に且つ複雑に進行しているため、各反応や相互作用の一義的な理解では説明することが難しい。また、細胞は常に細胞膜に囲まれ、その細胞膜にも様々なタンパク質や低分子化合物が存在し、さらに膜タンパク質の多くは糖鎖修飾を受けている。ウイルスのように、その細胞上に存在する糖タンパク質を認識して侵入してくる病原体も多いが、そのダイナミックな変化を理解するには、細胞膜と糖鎖、さらにはタンパク質のそのものの構造変化まで理解をしなければならない。したがって、細胞膜ひとつにとってもその理解を深めるには、各論ではない総合的な理解が必要となる。さらに、匂いや感覚といった生命活動もまた膜上に存在する受容体を介して起き、この受容体も糖タンパク質であることが多い。細胞という複雑なシステムを化学的視点から解剖し理解をしたと思っただけでは不完全で、その理解を検証するために機能をシンプリファイした人工細胞の創製も必要となる。最終的には、その検証から、「生命起源の謎」に迫ることもできるかもしれない。
 
糖鎖
 核酸、タンパク質に続く第3のバイオポリマーと呼ばれる糖鎖は、細胞間のコミュニケーションに重要な役割を果たし、がんや感染症の発病にも深く関与している。しかしその合成法は十分に確立しておらず、このためその生体内での役割も未解明の部分が多い。自由にオーダーメイドできる糖鎖合成法の確立、それを用いた機能解析や疾患治療への応用は重要な「夢」である。

創薬化学
 最も直接的に社会に貢献する生化学の応用として、医薬品創出がある。ターゲットタンパク質の構造から、自在に医薬をデザインする方法論は永年研究されているが、いまだ理想には程遠く、その創出が待たれている。特にタンパク質間の相互作用を対象とする医薬品は大きな可能性を秘めているが、低分子でこれを効率よく制御する方法はいまだ見出されていない。その確立は社会に極めて大きなインパクトを与えうる。

核酸化学
 分子生物学や細胞生物学の発展は、核酸化学とタンパク質化学の進歩なしではあり得なかった。望みの配列をもつDNAやRNAを手に入れるのも、核酸の化学合成技術がなければ実現しない。さらには、この数年でゲノムの配列の解読技術が大幅に進歩し、次世代シーケンサーのような化学を含めた幅広い分野の技術を集約することで実現された機器も登場した。一方で、核酸を単なる遺伝情報物質としてみるのではなく、機能をもった生体分子としてとらえた研究も進められてきた。たとえば、天然の核酸を修飾した分子や人工的な塩基をもつ核酸分子、さらにはペプチド核酸のように骨格そのものも核酸と異なる化学構造をもちながら核酸のように機能する分子が開発された。また、siRNAやmicroRNAのように、従来のRNA機能の常識を覆すような発見もなされ、核酸化学の重要性はさらに増した。核酸分子は、高いデザイン性が最大の武器である。したがって、今後研究者自らが核酸の構造をデザインし、目的の機能を発現できる技術、また生体内デリバリー等の関連技術の開発が、将来の核酸化学の夢となる。

ケミカルバイオロジー
 ケミカルバイオロジー研究には、大きく分けて二つの潮流がある。一つは、生命活動を制御する化学物質を探索する研究である。そのような化学物質を人工物に求めるか、天然物に求めるか、その違いによりアプローチは異なるが、いずれも従来から行われていた方法論でもある。しかし、後者については近年天然物の合成機構が急速に解明され、合成系の人工的な改変から天然物を超えた擬天然物合成へと、研究がシフトしてきている。一方で、現在の技術では擬天然物のde novo生合成を達成することはできず、この夢の実現には大きな技術的・知識的な壁を乗り越える必要がある。
もう一つの潮流は、細胞の生命活動を分子レベルで解明できる感度の高い新規プローブの開発、さらにその究極的な応用として、医療現場で簡便に使え且つ信頼度の高い診断薬の開発である。今後、医療はパーソナルメディシン(個別医療)へと進む。その際に必要不可欠なのが、高感度と簡便性を併せ持つ化合物プローブである。また、それに合わせた安価な機器開発も普及には不可欠であろう。
さらに、ケミカルバイオロジーが担う最も大きな出口が薬剤開発である。核酸化学、タンパク質化学、天然物化学から合成化学に至るまで、全ての知識と技術を統合して、人類の生活と健康に寄与できる薬剤の開発を、安価に且つ迅速に進めることができるようになるのがケミカルバイオロジー研究の夢である。

バイオイメージング
 GFPが2008年ノーベル化学賞の対象となったことでもわかる通り、生命活動を直接観察できるバイオイメージング技術は現代生物学において重要な地位を占める。現在のところ対象となるのは限られた生体分子のみであり、普遍的なプローブは存在していない。プローブとなりうる分子の普遍的な設計指針、それを感知できる超解像度蛍光顕微鏡が完成すれば、シグナル伝達の過程や細胞深部の構造体可視化が可能となる。生物学に革命的な進展をもたらす「夢」であり、その期待は非常に大きい。

まとめ
 化学と生物学、そして医学との新しい接点が「生命体」としての細胞の理解につながり、「ケミカルバイオロジー」から「ケミカルメディシン」へと研究が広がることで、人類の生活と健康に最大限に貢献できる研究へと進化する、それがこの分野の「夢」であろう。



物理化学分野の「化学の夢」について


物理化学分野の「化学の夢」
分子や結晶を構成する一つ一つの原子の動きを追跡できる原子スケールの空間分解能と、電子や原子核の運動を捉えることが可能なアト秒(10-18秒)レベルの時間分解を同時に手に入れることが出来れば、化学者は反応過程をまるで映画館で映画を見るように観測することが可能になる。レーザー技術の著しい発展とナノテクノロジーの深化によってそのような観測が将来可能になることも夢ではなくなりつつある。本項目ではこのような「物理化学の夢」である、個々の分子同士が衝突し、新たな分子を生成するときに生ずる電子波動関数の変化や、原子核の動きを精密に観測するための様々な「夢の計測法・操作法」が紹介されている。これらは、機能を極限まで高めた材料や、高効率・高選択性を有する化学反応場などの設計指針を得るための究極の計測法となるであろう。

光源技術
物理化学のみならず、化学の発展にX線、紫外線、可視光線、赤外線などの「光」が果たしてきた役割は極めて大きい。一つのフェムト秒(10-15秒)レーザー光源から出た光を液滴、半導体、金属、など様々な物質と相互作用させることによって、X線からテラヘルツ領域の様々な波長の光を生み出すことが可能となりつつある。このような光波長変換のメカニズムの詳細が解明され、制御技術が開発されれば、テーブルトップやパームトップサイズのフェムト秒レーザーからでも高強度な様々な波長の光を発生させることが可能となり、X線による原子の動きから、テラヘルツ分光による水素結合の様式まで、様々な計測が実験室レベルで可能となるであろう。

電子波動関数や原子の動きを可視化する測定法
これまで多くの化学者は、フラスコの中で起きている統計的な結果を反応結果として観測し、反応設計にフィードバックしてきた。しかし、一つ一つの分子の化学反応や構造変化に伴う電子波動関数の変化、および原子の動きを動画撮影するように測定する方法論を開発することが出来れば、高効率で高選択的な反応を駆動する新しい反応場の設計に大きく貢献することになるであろう。このような電子波動関数や、原子の動きを可視化するために様々なアプローチがなされている。アト/フェムト秒パルスレーザーを励起光源とし、サブナノメートルの空間分解能を有する光電子顕微鏡の開発、高い時間・空間分解能を有する近接場顕微鏡、X線自由電子レーザーをプローブ光源、フェムト秒レーザーをポンプ光とするポンプ・プローブ法などがあるが、いずれの場合も、用いる光源の性能を究極に高めることが求められており、多くのブレイクスルーを伴うそれら光源開発や光波制御技術の開発が必要とされる。

生体内における生体分子の可視化技術
細胞、組織、個体、など生体の様々な階層において、タンパク質の分子間相互作用や酵素活性など、様々な生体分子の機能やシグナル伝達過程をリアルタイムでイメージングする方法論の開発は、生命の仕組みの解明のみならず、疾病の検査などの医療技術としても極めて有用であり、発展が強く望まれている計測法の一つである。この夢を実現するためには、これらの生体分子を高感度に検出・可視化するためのプローブ開発原理の確立と、生体深部を高い時間・空間分解能で観察することの出来る超解像蛍光顕微鏡と超高感度光検出器とからなるイメージングシステムの開発が必要となる。これらの技術が開発されれば、将来、X線による被爆を受けずに体の内部を可視化して検査することも可能となるであろう。

金属ナノ構造により光を局在化させる技術
一般的な分子が有する吸収断面積の値から明らかなように、光と分子の相互作用は大きくない。そのため、分子を確実に励起し、計測するには光源として光強度の高いレーザーが必要となる。しかし、最近、金属ナノ構造が示す局在プラズモンと呼ばれる現象を利用すると、金属ナノ構造に入射した光が局在し、増強されることが明らかにされている。このようなナノ空間に分子を配置すれば、光と強く結合でき、微弱光を用いても高感度な蛍光計測が可能となることも明らかにされているが、光エネルギーを有効利用するためには、今後より大きな光増強場の実現が必要とされている。これら局在プラズモンを示す金属ナノ構造は、入射光を増強できる光アンテナとなることを示しており、入射した光エネルギーを余すところ無く電気エネルギーに変換できる太陽電池や、高密度光記録など、究極の光デバイスへの発展が期待されている。

原子・分子の操作技術
光が物質と相互作用したときに発生する光圧などを利用して分子を整然と並べて結晶化する技術が開発されている。これまで結晶化が困難とされてきた様々なタンパク質分子に関しても本手法によって結晶化できることが明らかにされつつあり、その構造解析が進められている。光による分子の結晶化のメカニズムが解明され、普遍的な方法論として利用することが可能になれば、種々のタンパク質の構造解析が進み、タンパク質と反応する物質が予測できるなど、新薬の開発に貢献できると期待されている。一方、近年の走査型プローブ顕微鏡の発展によって原子を一つ一つ操作したり、電子顕微鏡の高性能化に伴って有機分子を単分子で観測することが可能になってきた。これらの方法論を融合することによって、分子模型を組み立てるように、原子や分子を自在に操作して新しい有用な分子を合成出来る夢の合成法が確立できると期待されている。



ナノテクノロジー分野の「化学の夢」について


ナノテクノロジー分野の「化学の夢」
原子を1つずつ自在に並べて物質を作り上げる、これは化学者に共通する夢といえる。ナノテクノロジー分野においては、生体材料や電子デバイス等の機能性マテリアルなど様々な視点に立った夢が描かれているが、夢の実現のため、ナノメートルよりも1桁小さい原子レベルで構造を制御することの重要性が強く意識されている。また、そこには既存の有機化学、無機化学という垣根は存在せず、あらゆる元素を利用しようとする柔軟な発想が見て取れる。

クラスターとナノ粒子
コロイド粒子に代表されるナノ粒子の化学は、特にこの四半世紀に目覚ましい発展を遂げた。無機物質でありながら、有機化合物のように1原子レベルで構造が制御されたナノクラスターの合成法も確立されつつある。
特にQドットに代表されるナノ粒子は、量子サイズ効果によりバルクの物質とは異なる特徴的な物性を示す。高機能というだけでなく、高い安定性を有することから実用性の点からもその重要性は高まっており、実際に様々な物質が開拓されてきた。しかしながら、現状では、すべての無機物についてこのようなナノクラスター合成が可能なわけではなく、様々な大きさのクラスターを自由自在に合成できる普遍的な手法の確立が待たれている。
また、球や楕円体のような単純な構造を有するクラスターだけでなく、ドーナッツ状あるいは中空のような空孔を有するクラスターなど、様々なトポロジーを有するクラスターは合成手法および物性面の両面から挑戦的な課題であり、興味がもたれる。
一方、無機クラスターと有機化合物の複合化は、単独の物質では実現できない新機能を発現させるために欠かせない方向性である。これまで、ナノクラスターと有機分子の複合化を行う場合、主として有機分子によるナノクラスターの表面修飾が行われてきた。しかしながら、ここで描かれている例のように、自己組織化あるいは自己集合化を利用することにより、有機分子とナノクラスターが高度に組織化された新しい概念の無機.有機ハイブリッドナノ材料が得られるものと期待される。クラスター化学にはまだまだ多種多様な可能性が秘められている。

炭素系ナノ材料
フラーレン、カーボンナノチューブなどの炭素系のナノ構造体は、容易に入手可能なナノサイズの「分子」として注目を集めてきた。3 次元的に広がるπ共役系、中空構造、化学修飾の容易さ、などの特徴的な性質から、カーボンクラスターは電子材料、構造材料、医療分子デバイス等多様な応用可能性が考えられてきた。この分野は特に理論的研究が先行しており、炭素原子の並び方、あるいは欠陥の導入など、カーボンクラスターの構造と物性の相関について様々な予測がなされてきた。その中で、炭素を他の元素に置換する化学的ドーピングは最も挑戦的であり、かつ誰もが実現可能性を感じながら実現できていない「夢」ということができる。また、無機のクラスターの場合と同様、ドーナッツ状構造など、様々なトポロジー的特徴を有するカーボンクラスターの合成手法を確立することができれば、大変興味深い。

生体機能材料とナノテクノロジー
生体分子のサイズはナノメートルオーダーであり、これらの分子が単独あるいは集合化することで様々な機能を実現している。生体分子の機能を制御あるいは利用したり、またこれらを模倣、補完するような材料を開発したりする上で、生体分子と同様のサイズの物質を扱うナノテクノロジーの役割は極めて大きい。すなわち、生体分子の大きさと形にフィットするナノ構造体の形成手法の確立、あるいはそれを利用した生体分子の機能制御は、医薬品、再生医療など様々な観点から重要性の極めて高い課題である。
また、分子を秩序的に配列し、さらに、その結果形成される分子集合体をまた並べる、という生体の構造に見られる階層構造を実現することは、物質の構造の精密に制御するという観点からナノテクノロジーの大きな目標のひとつといえる。
また、生体機能の大きな特徴として、化学現象の時空間制御が行われていることが挙げられている。これまで開発されてきた機能性分子の多くでは、分子の立体構造の変化は考慮されてこなかった。しかしながら、生体分子においては、立体構造がその機能発現に密接に関わっている。分子の立体構造の制御に向けた研究はまだ端緒に付いたばかりであり、これを実現することにより生体の持つダイナミズムを人工的に再現する道が開けるものと期待される。

分子機械
ナノテクノロジーの概念を最初に提唱したのはRichard Feynman と言われているが、その当時の講演で一つの可能性として触れられて以来、分子機械の開発はナノテクノロジーにおける重要な目標とされてきた。それから半世紀ほど経っているが、機械的動きを起こす合成分子は着実に発展を遂げてきた。現状では、まだまだ一分子レベルでの動きを制御することに留まっているが、分子機械は電気エネルギーを使わずに機械的な動きを起こすことができるため、これを利用した新しい概念の機能性物質開発へとつながることが期待されている。一方、これと並行して、分子生物学の立場から生体分子機械のメカニズムが明らかになりつつあり、その洗練された分子の動きは、我々に有機分子の持つ可能性の高さをはっきりと実証してきた。現在、自然が生み出した生体分子機械に匹敵する精密な動きを実現する合成分子を作り出すことが一つの目標になっているが、今回示されているような人工分子機械と生体分子機械を組み合わせたハイブリッド分子機械は、さらに高度な機能を追求する「分子サイボーグ」の創製につながるものと期待される。

まとめ
生体分子、合成分子を問わず、機能性分子の多くはナノメートルサイズであり、ナノテクノロジーに対する化学的なアプローチは、このような巨大分子の合成手法と物性の開拓を両輪で進めながら進展していくものと予想される。分子のサイズが大きくなるにつれ、その構造の多様性は飛躍的に増していく。こんな分子を作れたら面白い、という「夢」はこれからもどんどん生まれてくると思われるが、それを実現するためには、まずは地道な合成反応の開拓を丹念に巣進めていくことが必要であり、その先にはまだまだ無限の可能性が広がっていることは間違いない。



未来課題分野の「化学の夢」について


未来課題分野の「化学の夢」
 他の分野と異なり、この「未来課題」分類には様々なジャンルの、まだ先の見通しがつきにくい話題が集められた。このため具体的に「何年後にこうしたことまでが実現している」というマイルストーンは設定しにくく、実現可能性についても推し量りがたい。しかしその分、まさしく「夢がある」テーマが寄せられており、科学者としての想像を刺激されるものが多い。

電子顕微鏡下での化学
 これまでのサイエンスは、新たな測定・分析手段が登場するたびに飛躍的な進歩を遂げてきた。化学分野でいえばNMRやマススペクトル、各種クロマトグラフィーなどがそれに相当するであろう。そして現在重要な進歩を遂げつつあるのが電子顕微鏡であり、各種技術の進展によって単分子の運動の観測、構造決定、化学反応の様子などが直接観測できる時代を迎えている。この展開の先に実現されるテーマとして、次のような提案がされた。
 まず、混合物の分析が挙げられる。石油や石炭、各種鉱石などが単離・純化の工程なしに直接精密な分析ができれば,新資源の発見や有用物質の単離手法改善にもつながる.植物の細胞壁や木質,膜の構造などの分析が行えるようであれば,生化学分野の躍進が期待できる他,バイオマス資源の活用などにもつながると考えられる.
上記のような観察に必要なのは、原子の種類までを特定可能なほどの測定の信頼性向上,三次元的な構造把握、電子線の照射によって測定対象が反応・分解を起こさないような技術も必要となる.また物性を損なわない微量サンプリングなども重要となろう。2025年頃までに,液体など比較的簡単な混合物の組成解析,2040年までに生体レベルの分析が可能になると予想する.

もう一つ、分子模型を組み立てるかのように,分子一つ一つをその構成要素である原子を三次元的につなぎあわせる,もしくは分子同士を望みの位置で結合させることで組み立てるという提案もなされた。かなりSF的な発想とも言えるが、もしこれが可能となれば,今までと全く違った化合物合成が実現する.
この実現のためには,(1)単一の有機分子を安定に観察する技術(2)一原子,一分子をオングストロームレベルの精度で動かす技術(3)電子線を用いて化学結合を切断し,望みの原子,分子とつなげる技術などが必要となる。これらのためには、さらなる分解能向上,活性な分子の安定化などが必要となる.
またこの方法では到底必要量を製造するには至らないから,作った分子を鋳型とし,何らかの方法でPCRのように増幅する方法も要求されよう.こちらについては、抗体やRNAで増やしたい分子の「鋳型」を作成し、これを遺伝子組み換え技術やPCRなどで増幅させたのち、その内部で反応を行って増幅を行う方法が提案された。この手法では任意の低分子を自由に増幅するという目標には至らないが、反応的な手法を目指して2040年頃までに何らかの進展が望まれる.

炭素材料の自由成形
 フラーレン・ナノチューブ・グラフェンなど、炭素材料は丈夫さと興味深い電子特性を併せ持ち。ナノテクノロジーの旗手として大きな注目を浴びている。これを自由な形に成形する技術があれば、ナノレベルの電子回路・支持材料などとして大きく応用範囲が広がることが期待できる。
 方法としては、(1)鉄触媒を制御して配置し、そこからナノチューブを成長させて連結させる(2)フラーレンを一定の形に配置し、熱反応などで融合させるといったことが考えられる。(1)のために必要な要素としては、安定なテンプレート上で鉄触媒の自在な配置を行う方法の開発、(2)のためには多孔質で安定な「鋳型」の形成技術の開発、およびフラーレンの詰め込み、加熱などによる融合条件の確立が必要となるであろう。2030年には形成が可能になり、2040年にはこれらが実用化に至ると見ている。

DNAロボティクス
 DNAを素材とみなし、様々な形状を作らせる「DNAナノテクノロジー」には近年急速な進歩が見られ、論理回路やセンサーを作ることも可能になった。これらを自在に組み合わせ、分子ロボットを作ることができれば、極小サイズの機械として微小加工など様々な分野に活用可能であろう。
 これには各種の分子デバイスをいかにモジュール化するか、それらをつなぐインターフェースをどう設計すべきかなど、いかにクロストークを抑え,望む時空間発展だけを起こさせるかなど、多くの課題が山積している。
 これらの課題を解決し、医療への応用・細胞との融合が2030年ごろに果たせるのではと予想する。また2040年の段階では、これらを活用した人工細胞が完成していると予測している。

生命の起源
 現在地球を満たす生命がどのように発生したかは、科学における究極のテーマの一つであろう。現在、アミノ酸や核酸など生命の主要因子となるべき分子の、前生命的合成ルートがいくつか提出されている。ただしこれらが互いに結合し、ポリペプチドやポリヌクレオチドなどが形成される過程には十分な理解が進んでいない。
 これらの反応に、地球上に存在する各種鉱物が触媒などの役割を果たしたと考えられている。地球化学的観察と、原始地球環境を模した実験の両面から探索を行い、起源に迫ってゆくことはできよう。こうしたで2030年には二重らせんの人工核酸、2040年には人工タンパク質・リボザイムの生成が実現されていると予測する。しかしさらに一歩を進めた自己増殖系の人工的生成はなおも課題が多く、さらなる検討を要するものと考えられる。

まとめ
 ここに挙げた課題は、実現の必要に迫られた課題というのではなく、化学者の全く自由な発想から生まれた研究テーマである。それだけにユニークな発想のものが多く、実現時期の予想なども難しい。しかしその実現に向けた考察・実験の中で、思わぬブレイクスルー、セレンディピティにつながる可能性も高いジャンルといえよう。今後30年の間に何がどこまで実現するか、期待して見守りたい。



エネルギー・資源分野における「化学の夢」について


エネルギー・資源分野における「化学の夢」
 たとえ漠然とではあっても人々は、資源は有限であり、枯渇が危ぶまれているという認識をもっているであろう。それは逆に、将来にわたるエネルギーや資源の永続的な確保が、私達の生活の安定に必須の要件であることを物語っている。エネルギー・資源分野における「化学の夢」の出発点は、限られた資源を大切に使うという一般社会に浸透している感覚に近いものであると同時に、身のまわりにふんだんにあるもの、あるいはこれまで資源とは考えられてこなかったものに目を向けようという意識にある。そして紡ぎだされたこの分野の「化学の夢」は、私達が具体的にはどうすればよいのかという切実な問いに対して、未来への夢を描くことのできる答えを与えようという気概に溢れたものになっている。

太陽電池技術
 現在、地球規模で消費している総エネルギー量をはるかに上回る太陽光エネルギーは、次世代エネルギーの本命として期待されている。限られた化石資源をエネルギー源とせず、貴重な炭素資源としてのみ利用していくためにも、太陽光エネルギーをできる限り効率的に活用するための技術革新が決定的に重要であることは言を俟たない。太陽電池技術はまさにその筆頭であり、「有機薄膜太陽電池」の夢では、将来、総発電量の25%を太陽電池が担い、そのうちの2割までを有機薄膜太陽電池で賄うための鍵となる方法論が提示されている。安価で高い耐久性をもち、高効率なエネルギー変換を実現できる有機半導体分子の設計と合成が基盤となる。また、ありふれた元素を用いて画期的な発電材料を作り上げ、高いエネルギー変換効率をもつ「色素増感太陽電池」を開発するという夢も語られており、これらが現実のものになることで、誰もが・どこでも・簡単に・いつまでも使えるフィルム状の電池や、塗料型の電池が常識となるだろう。一方で、「バイオ太陽電池」の夢では、微生物から電極材料へと電子を渡すための技術を開発し、自ら増殖し、修復機能ももつ光エネルギー変換システムを自然環境の中で成り立たせるために必要な要素が整理されている。それらの課題が解決されれば、沼や池そのものを光捕集の場とした太陽光発電が可能になるかもしれない。

蓄電池技術
 一方、発電によって得たエネルギーを蓄積しておく技術、蓄電池の開発も一層重要になる。ここでは正極として空気透過性集電体を用いる空気電池の改良が提案された。これによって電池のエネルギー密度の大幅向上が実現すれば、長期間充電不要で安価なモバイル機器、安い夜間電力によってガソリンを使わずに走れる高性能自動車などが現実のものとなり、エネルギー問題の解決、二酸化炭素の排出抑制などに大きく貢献することになるだろう。

燃料電池
 将来の電力供給を考える上で、様々な化石燃料やバイオ燃料から高い効率で、直接発電できるシステムの開発が重要な位置を占めるが、それが「燃料電池」の夢として取り上げられている。急速に起動でき、コンパクトで規模の大小にかかわらず電源として用いることができる燃料電池を、発電効率65%以上で実用化するという明確なヴィジョンである。そのためには、高性能な触媒・電極はもとより、伝導性の高い固体電解質の開発が必須となる。

資源の循環
 限りある資源を有効に活用するには、それらを循環利用するためのシステムの確立が求められる。「ヨウ素を資源とする化学」の夢では、ヨウ素の循環サイクルの確立がもたらす化学技術の未来が語られている。ヨウ素は、資源の乏しい日本の数少ない輸出資源であるが、その量にはやはり限りがある。従って、自然界のヨウ素循環サイクルを模倣した大規模循環サイクルを確立するための条件をクリアし、世紀を越えた安定供給を保証することの意義は計り知れない。
また、再生可能なエネルギー源として注目されているバイオマスの活用を本格的に進め、化石資源を凌ぐ主要な炭素資源として社会に普及させるための手立てが、「バイオマスの高効率化学変換」の夢として述べられている。さらに、「非可食性植物資源を活用する未来材料」の夢では、今では私達の生活になくてはならないプラスチックや繊維などの高分子材料を、再生可能資源由来の材料へと置き換えていくための具体策が提案されている。その実現には、非可食性の植物由来モノマーの適切な選択と、高度な構造制御を発現し得る精密重合プロセスの開発が最も重要な要素と考えられる。これまでは原料として十分に利用されてこなかったバイオマスから、有用な炭素資源を選択的に取り出すとともに、そこから機能性有機材料を効率よく合成できれば、カーボンニュートラルの大きなサイクルを確立でき、持続的な発展が可能な社会を支える技術になる。

光触媒技術
 太陽光をエネルギー源に、水を還元剤として用いることで二酸化炭素を有用な炭素資源や燃料に変換するためのシステムを開発するという夢が、「人工光合成」の実現である。水を用いた二酸化炭素の高効率還元を達成できる光触媒を、安価でありふれた金属から創製できれば、資源の枯渇のみでなく、二酸化炭素の排出に伴う地球温暖化という、人類の将来に影を落とす深刻な問題を一挙に解決できる可能性を孕む。また、「粉末光触媒を用いた太陽光と水からの大規模な水素製造」を達成するという夢では、光触媒を用いることで、太陽光の照射下で水を分解して水素を製造するという未来技術が提案されている。太陽光の下で高効率に働く光触媒の開発と同時に、その長寿命化、さらには水素と酸素を分離するための技術が確立されれば、ソーラー水素製造プラントの稼働を実際に見ることができるだろう。

人工光合成
 太陽光の無尽蔵のエネルギーを、物質生産に用いる「人工光合成」は、化学者にとって最大の夢のひとつといえよう。植物はこれを難なく行い、グルコースなど重要な有機物を生産しているが、人工光合成はいまだその端緒に就いた段階に過ぎない。
 ここでは、半導体光触媒と金属錯体光触媒のハイブリッド化が有望な候補として挙げられている。これによって二酸化炭素を光エネルギーで還元し、ギ酸など有用化合物生産に結びつけるのが大きなステップとなろう。将来的に、レアメタルを用いないシステムの開発も期待される。

まとめ
ここでまとめられた、それぞれの「化学の夢」に共通するのは、「ありふれたもの」をうまくエネルギー源・資源として活用することで、「持続性」を獲得し、さらに科学として未踏の場所を目指すという態度である。そして、その先にあるものは、決して化学それ自体の永遠の進歩ではなく、私達がより良く、幸せに生きていくことができる未来である。それは、もう少し大きな観点では、私達がこれからもこの地球上で生きていくことができるのかという半ば哲学的な問いに対峙することであり、確かな答えを導き出す上で、化学者の果たすべき役割は極めて大きい。



環境分野の「化学の夢」について


環境分野の「化学の夢」
 言うまでもなく、環境の維持と保全は、人々が化学者に期待する最大のテーマの一つとなっている。すなわち環境分野における「化学の夢」は、一般社会から見れば、「化学への期待」そのものということになるだろう。今回集まった環境分野の「化学の夢」には、夢を語るその一方で執筆者の「期待に応えなければ」という使命感がみなぎっている。

グリーンケミストリーと触媒技術
 化学がそのほかのサイエンスと大きく異なる特徴の一つは、もの(物質)を製造して供給する、あるいは新しい物質を創りだすサイエンスであることである。その際、有毒なものを使って製造する方法や、余計なもの、有毒なものを副産物として出さないことは、化学者が常に心がけてきたことであり、近年「グリーン・サステイナブルケミストリー」として定式化された。勿論そのためには、各種触媒や反応の開発などにより、現時点ではまだ十分にグリーンとはいえないプロセスを抜本的に変えるような合成技術の確立が必要である。
 個々の課題を抽出してみると、その中で触媒技術や重合技術に対する期待が高いことが判る。ハーバー・ボッシュ法は窒素の固定を人工的に実現した化学技術最大の発明とされるが、高温高圧を必要とするためエネルギー消費が大きい。「常温常圧での窒素固定」の夢のためには、水と窒素から、光エネルギーを用いてアンモニアを合成する触媒の開発が鍵となる。実験室レベルでの触媒は、既にいくつかの例が開発されているが、触媒の活性や安定性に関して、なお多くのブレイクスルーが必要とされている。
 20世紀の社会・生活を大きく変えたプラスチックの技術に関しては、今後その原料を、枯渇が見えてきた化石資源からこれまで使われていなかった原料に転換することが求められている。「二酸化炭素固定」の夢において、従来は廃棄物として、また、人為的地球温暖化の原因としてしか考えられていなかった二酸化炭素を、積極的にプラスチックの原料として取り込んでゆく方法論が考えられている。現在もエポキシドと二酸化炭素を原料とする高分子が知られているが、本格的にプラスチックの主原料とするためには、物性の向上や別の原料との組み合わせ等、抜本的な技術革新が必要とされる。
 グリーン・サステイナブルケミストリーにおける最終的な夢は、この言葉が円満のうちに「死語」になる社会であろう。製造物責任と同様に、その製造過程がグリーンでなければ製品として世の中に出すことが出来ないようになり、物質を使うサイドから見れば、入手可能な物質はすべてグリーンな方法で製造されたものになる。いちいち断るまでもなく、誰もがそれを当然と思うような社会の実現を、「夢」として考えている。

計測・診断技術
 地球の状態を現場で瞬時に分析し、地球循環モデルによって可視化することにより、地球環境に対する対応策を科学的に設定することが可能となる。「化学で計る地球の健康」の夢では、このような分析を分子の同位体組成が判るようなレベルで実現できれば、地球温暖化ガスの履歴が明らかになり、人為的なものかどうかの判定も可能になるとされている。まさに、地球の健康診断が可能になる訳である。

資源・エネルギーと環境
 レアメタルの問題は、触媒だけでなく、電気自動車等の環境技術に必須の磁石(ネオジムやジスプロシウム)や、リチウムイオン電池にも直接関わっている。元素の資源問題は化石燃料等の問題と並んで環境技術に直接関わる問題であり、文部科学省や経済産業省でも「元素戦略」として日本のイニシアチブで世界に発信しようとしているところである。
 環境触媒は、触媒技術を環境保全のために活用する、より直接的な応用例である。その代表例の一つが自動車の排ガス浄化触媒であるが、「レアメタルフリー自動車触媒」の夢では、現在排ガス浄化触媒に用いられている白金属元素や希土類元素をなくし、ナノ粒子や、ナノクラスター等のナノテクノロジーを駆使した触媒で置換することが考えられている。また、酸素吸蔵剤として用いられている希土類酸化物を他の元素から成るものに代替することも重要であろう。レアメタル代替の概念は重要であり、この他の「夢」の項目においても幾度も登場する。

食料と水
 人類の存続可能性を考えるとき、エネルギー問題にも増して本質的な課題は、食料と水の問題である。地球上の耕地面積の限界や、淡水資源の枯渇を見れば、危機は確実に近づいている。
 食料については、同じ耕地面積からより多くの食料を生産する増産のための技術や、土地に依存しない農業等の技術が重要となる。「食料増産」の夢では、遺伝子組み替え技術や品種改良等によって、単位面積当たりの収量が高く、肥料利用効率の高い作物の開発が考えられている。それには遺伝子組み換え作物に対する科学的な理解の促進や、耕地利用率の究極的な向上も必要となるであろう。
 また耕地の束縛を離れて植物を生産するシステムとして、「植物工場」のシステムが開発されている。気候変動の影響を受けないため、安定的で計画的な農産物の生産が可能になる。今後省エネルギー化を図ることにより、野菜だけでなく多くの作物の生産を可能とすることが「植物工場」の夢である。
 飲料水に関しては、海水の淡水化がキーテクノロジーであるが、現在最も優れているとされている逆浸透法でも、圧力をかけるためのエネルギーが必要である。水だけを通すサイズの膜の開発による「低エネルギー海水淡水化」の夢が実現すれば、エネルギー問題と両立した飲料水の確保が可能になる。

リサイクル技術
 プラスチック等の高分子材料は、PETを除けば同等以上の高分子材料としてリサイクルすることが困難である。「アップグレードリサイクル」の夢では、バイオマテリアルのリサイクルによって、より付加価値の高い機能性ポリマーの原料や、接着剤等の機能性材料とする技術を確立することが考えられている。また今後は、あらゆる資材は地球上の大きな元素循環の中にあるという位置づけの下、材料開発を行うという発想が必須になるであろう。

まとめ
 水、食料、材料、環境保全、エネルギーなどは、すべて人類が安全で豊かな次世紀を迎えるために必須のものであり、その確保のための対策は喫緊のものである。これらの実現のため、化学者のなすべきこと、化学者のみに可能なことはあまりにも多い。その意味で、ここで語られた各テーマは、「化学の夢」であると同時に「化学の責務」でもあるだろう。化学者には、人類の未来と夢が託されているのである。



医療・健康・安全・安心の「化学の夢」について


医療・健康・安全・安心の「化学の夢」
 18世紀に石炭、蒸気機関というエネルギー革命からはじまった第一次産業革命は、その後、19世紀から20世紀にかけて電気、鉄、自動車、石油化学(プラスチックなど)、医薬(抗生物質など)などを生み出す第二次産業革命へと展開され、20世紀後半から21世紀の今日に至っては、ナノ材料(新デバイスなど)、バイオ(バイオ新薬、再生医療)、情報(インターネット、光通信など)といった分野が発展し、新たな社会変革をもたらしている。特に、20世紀の大量生産・大量消費の社会において、深刻な地球環境破壊が引き起こされ、その結果、環境だけでなく食の安全なども脅かされた。また、超高齢化社会に突入した我が国においては、高齢者が健康で長寿を全うできる社会構築が求められる。そこでこうした諸問題を解決し、健康長寿で安心安全な社会生活を実現する基盤となる科学技術の発展がますます重要となるであろう。

がん・アルツハイマー治療
 がんの発生要因は複雑であり,単一の治療法で完全に制圧しうるとは考えにくい.ここ数十年で可能になるのは,タイプ別のがん発生メカニズムの解明と早期発見技術の実現,低分子・抗体・核酸など各種医薬の進歩,それらを組み合わせる治療法の確立により,がんの完全に近い治療を実現することであろう.
 また高齢化社会の進展に伴って大きな社会的問題となっていながら、根本療法の存在しないアルツハイマー症の治療薬も極めて重要と言える。ただしメカニズムに不明確な点も多く、現段階で完治につながる具体的なアプローチの提案は難しい。アミロイドの産生抑制あるいは分解を促す、タウタンパク質の凝集を防ぐ低分子・ワクチン・抗体などの開発がまずは柱となろう。将来的には、神経再生による脳神経再建技術、患者の状態に合わせたテーラーメイド医療の実現を期待したい。

疾患の予測・予防
 精神疾患やがんなどは、発症してしまえば根治は困難であり、早期発見が求められる。健康状態を把握するためのバイオマーカーの探索、それらをモニタリングするためのバイオセンサー、特に、在宅でのテーラーメイドな健康情報の把握と発病の事前予知と予防の実現が求められる。ドラッグデリバリーシステムの進展により、高感度イメージング材料を体内に送り込むことによる疾患予測も、将来の重要なテーマとなろう。

細胞治療・再生医療
 再生医療は、以前から医療の次世代を担うと期待を受けていたが、iPS細胞の登場によってさらに現実味を増した。現在の技術では治療不能な疾患を救う手段として、大きな期待がかかる。化学の立場からは、iPS細胞の小分子による運命決定、新材料との組み合わせによる細胞治療などが夢として上げられた。また個々の細胞を分析し、これを狙い撃ちして治療する技術、各種細胞を制御して造る人工臓器、免疫の制御による次世代ワクチンなど、医療の「夢」は限りがない。

健康分野
健康分野においては、医療費問題を解決するためにも予防に軸足をおきwell-being に長寿を全うするための科学技術が求められる。具体的には、一方、食品は生活習慣の一部であり、食からの健康維持の価値創出が求められる。食品の高度分析による高付加価値化、食を通じた健康管理なども実現が待たれる。

安全・安心分野
安全・安心分野では、自然災害やテロなどから安全を確保するための科学技術として火災や地震の予知や処理方法の開発、化学・生物剤の迅速検知や無害化などがある。また、環境汚染などを事前にモニタリングし、健康被害などを防止する化学センサー開発も必須であろう。生体の微妙なシグナルの変化を察知し、健康状態の変化を知らせるバイオセンサーも、重要な価値を持ってくると考えられる。

まとめ
 生命科学の進歩により、医療技術に関してはさらに飛躍的進展が望める段階にある。再生医療や各種予測技術の進展は著しく、さらに人類の寿命は伸びることが予測される。食品や環境と健康の関連についても、さらに知識は深まっていくことであろう。ただし、安全・安心ということに関しては、震災や原発事故、今後予測される災害への対応など、さらに課題が山積している。医療技術の進展の一方で発生する新たな問題も予測され、科学と市民とのコミュニケーションの重要性がさらにクローズアップされることになると思われる。



材料科学分野の「化学の夢」について


材料科学分野の「化学の夢」
「材料」という大項目では、すでに現時点で見え隠れしている光デバイス、電子デバイス、磁性デバイス、あるいはそれに関わる材料、に関する夢が中心となる。流れは、レアエレメントからありふれた安全な元素(例えば炭素)へ、無機化合物から有機化合物へ、生体模倣そして生体適合系へ、と表現することもできる。

エレクトロニクス材料
ディスプレイなどに必須の透明電極、ナノ構造制御に基づく発光材料、高密度記録媒体などの「夢」が集まった。いずれにおいても、軽量・フレキシブル・元素戦略的方向・高エネルギー効率といった方向性が共通するキーワードとなろう。生体との適合性に優れ、ありふれた毒性のない元素を用い、環境に対する負荷が低い材料が、今後目指すべき方向であるのは明らかである。

超伝導材料
現在注目を集める鉄系超伝導体、さらに大きな夢として室温での超伝導の実現が挙げられた。実現には新規構造設計のための知見、原子レベルで制御して物質を作る技術などが求められる。人類に計り知れないインパクトをもたらす研究であり、今後さらなる展開が望まれる。

メタマテリアル
自然界の物質では取りえない物性値を、既存の物質のサイズとモルフォロジーの精密制御により可能とする技術が、大きな貢献をする。その例として、メタマテリアルを挙げておく。物質の周囲をメタマテリアルで覆うことにより、光に対してまったく見えないようにすること(ハリー・ポッターの透明マント)や、光の透過・反射・偏光を自由に制御し、回折限界を超えて波長以下に集光するなど、応用展開が可能となる。

自己修復材料
太陽電池などの有機材料化、また有機トランジスタなど、種々の新規材料は、有機化合物によって置き換えられる方向で研究開発が推進されている。有機化合物を用いたデバイスでは、その耐久性、寿命をどう延ばすという課題解決に大きな努力が支払われている。単に耐久性を延ばすという発想では、限界があり、将来では、損傷が発生した場合、自己修復を行う材料設計への発想転換が必要となるだろう。その場合には、生命体に学ぶことになる。しかも、単に生命体の構造を模倣する生体模倣デバイスから、いずれ概念だけを取り出して学ぶ形へと変化するであろう。

生体適合材料
医療に対する貢献はますます重要になる。臓器移植から、人工臓器への変革が起こり、さらに治療に際しても体内埋め込み型デバイスによる治療も本格化する。癌摘出手術のような外科手術では、この手法が中心となって、医療技術ができあがる。1960 年代の映画"ミクロの決死圏"の実現化である。

まとめ
材料科学は実生活に直接大きなインパクトを与えうる分野であり、環境やエネルギー、医療の問題などとも密接に関連し、人類の生存可能性向上に大きく資することができる。冒頭に述べた低環境負荷、元素戦略的方向性、生体適合性といったキーワードを念頭に置きつつ、今後さらなるエネルギーがこの分野に注がれることが望まれる。