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第13回化学遺産認定

2008年3月発足した「化学遺産委員会」では、2009年度から事業の一環として新たに、世界に誇る我が国化学関連の文化遺産を認定し、それらの情報を社会に向けて発信する『化学遺産認定事業』を開始しております。今まで12回57件を認定し、化学遺産認定証を贈呈し顕彰いたしました。

本年度第13回につきましても、認定候補を本会会員のみならず会員以外からも広く公募いたしました。その後、応募のあった候補を含め傘下の「化学遺産調査小委員会」において、委員が認定候補の具体的な内容、現況、所在、歴史的な意義などを実地調査し、調査結果に基づき慎重に検討のうえ3件を認定候補として選考いたしました。さらに、化学遺産委員会では、委員会関係者とは異なる学識経験者で構成された「化学遺産認定小委員会」に審議を諮問いたしました。その結果、3件の候補はいずれも世界に誇るわが国化学関連の文化遺産としての歴史的価値が十分認められ、化学遺産候補としてふさわしいとの最終答申をいただきました。

この答申を受け、化学遺産委員会では3件の関係先に「化学遺産」として認定・登録することについてご承諾をいただき、理事会に諮りました。その結果、認定候補3件いずれも化学遺産として認定することが全会一致で承認されました。今回承認された3件は下記のとおりです。

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認定化学遺産 第058号『日本の放射化学の先駆者 飯盛里安のIM泉効計』


飯盛里安(1885-1982)は、1917年に創立間もない財団法人理化学研究所に入所した。1919年から2年間イギリスに留学し、オックスフオード大学のフレデリック ・ ソディ教授のもとで放射化学を学んだ。帰国後、日本では未開拓の分野だった放射化学の基礎を築き確立させた。放射性鉱物や希元素の研究を生涯続け、戦時中はウラン鉱の探索 ・ 採掘 ・精製を行った。この間、東京帝国大学理学部化学教室で1922年にスタートした 「分析化学」講義の一部を担当、特に1927年以降日本初の「放射化学」講義を1943年まで担当し、 「アイソトープ」を 「同位元素(同位体)」と邦訳するなどした日本の放射化学の先駆者である。放射化学の研究の一 環で特許化したIM泉効計 (I M-Fontactoscope。IMは飯盛の略)は使用法が簡単で測定精度が高く、温泉ブームの時代に、ラジウム温泉、ラドン温泉の認定評価用に重用された。理研の工作係と協力して全回に供給した。現在、I里化学研究所にはIM泉効計の初期販売器(昭和前期)および昭和38年製の2台、近傍製品、泉効計部品、泉効計を含む歴代理研製品カタログ、ラドン定星器特許資料ー式が保管されている。
これらは日本の放射化学の先駆者飯盛里安の業績と軌跡を偲ばせる資料であり、化学遺産に認定する。

isan058_article.jpg 化学と工業特集記事

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IM泉効計(昭和前期)

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分解した部品ー式

(いずれも 国立研究開発法人 理化学研究所 所蔵)

認定化学遺産 第059号 『日本の科学技術文献抄録誌の先駆け:『日本化学総覧』』

1911年に東北帝国大学理科大学教授に着任した眞島利行は、欧米ではChemical Abstractsなどの化学文献抄録誌があるのに対して、国内の研究を抄録誌で調査することはほとんど不可能である不便さを感じた。1918年に同大学付属病院で本邦動植物成分の研究論文の抄録が進められたが、抄録対象の範囲判定が困難であるなどで中止状態になった。この経験から眞島は化学全域から国内文献を全て抄録する必要性を感じ、化学総覧の事業につながった。1921年から同大学化学教室で我が国初の画期的なデータベース構築が始められ、1877年から1920年までの文献の抄録作業が1923年初夏までに完成したが、関東大震災により発行は遅れた。しかしそれ以降の文献抄録作業も進め、1926年7月に編集・発行の担い手になる財団法人日本化学研究会が設立され、1927年に発行を開始した。同研究会が関わった1963年までの抄録数は特許を含めて348,517件、協力した全国の抄録者は一時700人近くに達し、日本の科学技術文献抄録誌の先駆けとなり、現在も『科学技術文献速報(WEB版)化学・化学工業編(国内編)』として継続されている。同研究会所蔵の『日本化学総覧』設立以来30年間の『会議決録』及び眞島の署名のある書類を含む『庶務綴』はその歴史を示す貴重な資料であり、化学遺産として認定するにふさわしい。

isan056_article.jpg 化学と工業特集記事

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『日本化学総覧』の一部(第1集1927~1938)

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庶務綴 昭和27年度・28年度

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理事・評議員 会議決録 大正15年7月15日

(いずれも 国立研究開発法人 理化学研究所 所蔵)

認定化学遺産 第060号『日本の合成香料工業創成期の資料』

甲斐(かいの)荘(しょう)楠(ただ)香(か)(1880-1938)は京都帝国大学理工科大学純正化学科を卒業した2年後の1906年に久原(くはら)躬弦(みつる)教授(化学会初代会長)の下で助教授に任命された。しかし応用化学、とりわけ香料工業に関心が高かったことから休職して1910年に欧州に私費留学した。フランスの天然香料のメッカであるグラース市に下宿して無給で製造職工や調合見習いを体験し、さらにスイスの世界最大(現在)の香料会社であるジボダン社で合成香料の開発と調合の研修を行って1913年末に帰国した。1914年に第一次世界大戦が始まり欧州から合成香料の輸入が停止したことから日本で合成香料の本格的な工業化が始まり、甲斐荘も石けん会社丸見屋で合成香料の生産を始めた。しかし休戦とともに生まれたばかりの合成香料工業は苦況に陥り、甲斐荘も5年余勤めた丸見屋を事実上追い出された。甲斐荘は、同じく退職した香料技術者を募って1920年に高砂香料(株)(当時の社名)を創立し、日本最大の香料会社に育て上げた。甲斐荘が書き記したノート、書簡、処方箋、評価メモ等は、欧州遊学中にどのように学び、それを日本で生かしたか、また当時の日本の調合香料のレベルなど、日本の合成香料工業創成期を知る貴重な資料であり、化学遺産として認定するにふさわしい。

isan056_article.jpg 化学と工業特集記事

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甲斐荘ノート

(いずれも 高砂香料工業株式会社 所蔵)