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科学教育の学習指導要領作成に関し、中央教育審議会あて提言書を提出

「化学」で何をどう教えるべきか
科学教育の学習指導要領作成に関し、中央教育審議会あて提言書を提出

(2007. 9. 26 掲載)

本会の化学教育協議会教育課程検討小委員会[委員長:細矢治夫]は、現行の初等中等理科・科学教育の問題点について検討していましたが、このたび、(1) 小・中・高の 科学教育全体にわたる提言、(2)高校理科全般の学習指導要領に関する提言、(3)「高校化学」の学習指導要領に関する提言 、をまとめ、9月26日付で中央教育審議会あて、 藤嶋 昭会長および井上祥平化学教育協議会議長の連名で下記提言書を提出しましたので、お知らせいたします。


平成19年9月26日

中央教育審議会 御中

社団法人日本化学会
会 長 藤 嶋   昭

日本化学会化学教育協議会
議 長 井 上 祥 平

「化学」で何をどう教えるべきか
科学教育の学習指導要領作成に関わる関係者への日本化学会からの提言

前言
現在高等学校学習指導要領の改訂が進行していると聞く。日本化学会は、わが国の化学分野に於ける最大の専門家集団であり、教育に関する事項は化学教育協議会が主宰している。本会はこれまでも、学習指導要領改訂等に関わる意見表明を行って来た。しかし、危機に瀕しているわが国の科学教育の現状の打破は、初中等の理科教育・科学教育全体の改革という視野から行わねばならない。そこで先ず、科学教育全体の問題点を指摘し、わが国の現行のシステムである初等中等教育学習指導要領とそれに基づく検定教科書の枠組みを前提にした立場でその改革案を提言し、その上で「高校化学」の学習指導要領の具体的な改革案の提言を行う。更に、以上の指摘と提言について必要な補足を行う。

問題点の指摘

I 科学の意義と重要性についての教育が欠けていた。
II 科学教育が、小学生から一般人までの生涯教育となっていなかった。
III 科学の定量性を軽視した教育が行われて来た。
IV 化学が物質の科学であることがはっきりと教育されていなかった。

提言

A) 小中高の科学教育全体にわたる提言

  1. 「理科」の時間数と必要単位数を可能なかぎり増やす。
  2. 「科学」と「技術」、及び両者の重要性と協調関係をはっきり教える。
    「科学技術」という定義不明の語を教科書では使わず、必要な場合には「科学と技術」または「科学・技術」と書く。
  3. なぜ「理科」や「科学」を学ぶのかをはっきりと教える。 特に、小中学校段階においてこれを強調する。

B) 高校理科全般の学習指導要領に関する提言

  1. 理数系科目の必履修単位数を増やし、かつ"理系・文系"の修得単位数の差を減らす。
  2. 「物質の科学」としての化学の重要性を説く。
  3. 「探究活動」の比率を一元的に定めない。

C) 「高校化学」の学習指導要領に関する提言

  1. 「定量的な扱いはしない」「定性的な扱いにとどめる」という表現をできるだけ減らす。
  2. 「羅列的な扱いはしない」という表現をできるだけ減らす。
  3. 「化学I」で学習した事象でも「化学II」であらためて詳しく学習できるような段階的な学習の原則を確立する。
  4. 現行の「化学II」で行われているような選択学習を廃止する。
  5. 指数・対数のように自然科学で重要な事項は数学教育で重視すべきである。また,これらの事項を化学の中で使うことを妨げない。

補足事項

「問題点の指摘」に関する補足
問題点I 従来、小中学校では「科学的なものの見方・考え方」、高校では「科学的な自然観」の養成をうたいながら、科学とは何かについて何も教えていなかった。だから,多くの生徒は真の「科学」と「疑似科学」 の区別ができていない。
問題点II 種々の国際的な調査で、わが国の一般人の科学や技術に対する理解度(科学リテラシー)が、先進諸国の中で最低に近いことが示されている。
問題点III 定量性の重視は、科学と科学者の活動の根源である。入学試験に煩雑な式や計算の問題が入ると受験生を困惑させる、などという本末転倒の論理で理科教育が歪められ続けて来た。定量性を軽視した教育で現代科学を理解することは不可能である。
問題点IV 限られた資源とエネルギーの下で人類が一定の水準を保ちながら生き抜くためのかぎを「物質の科学」が握っている。「化学」がこういう大事な使命をもっている学問であることはきちんと教育すべきである。

「提言」に関する補足

提言A1 先進諸外国のみならず、発展途上国に於いても、わが国よりもはるかに科学教育を重視している。現状に甘んずることは、わが国の国際的な地位の後退を座視することになる。一定の授業時間を確保しなければ、正しい科学教育を行うことは不可能である。
提言A2 諸外国では、「科学」と「技術」の定義をはっきり教えている。特に、米国の「科学教育スタンダード」には、「科学」と「技術」の違いと関係について繰り返し教育するように説いている。なお、中学には「技術・家庭」と「理科」がある一方で、高校には「理科」と「情報」があるということが、生徒の「科学」と「技術」に対する正しい理解を妨げている。
提言A3 英国のブレアー元首相は、教育が国家の再重点課題であり、その中で科学教育が最も重要だと明言していた。また、米国の「科学教育スタンダード」には、「科学リテラシーを獲得した者によって国家の経済生産力を増加させることができる」とまでうたってある。それに比べ、このことに対するわが国の一般の認識は大幅に遅れている。
提言B1 高校1年の時点で理数系から気持の離れた者の科学リテラシーを向上させることが極めて難しいということは周知の事実である。また現代社会を生きるためには、文系志向の生徒でも理数系の学習をより深く行わねばならない。現行の単位履修制度は、国民の科学リテラシーの低下を促進する国家的政策である。この是正以外に解決の道はない。
提言B2  現行の学習指導要領では、「化学I」と「化学II」の「課題研究」を除く全ての章に「物質」の語が入っていることでも、化学が物質の科学であることは自明である。このことの認識をあらためて徹底する。世間に喧伝されている「化学物質」に対する誤ったイメージを払拭することもこれからの化学教育の使命である。
提言B3 原子や分子の構造、化学結合の本質、化学反応の機構等は、高校生がどんなに考えても現代科学の粋に迫ることはできない。このように、覆すことのできない原理原則に基づく事項についても一元的に生徒の「探究活動」を強いることは,正常な科学教育を妨げることになる。
提言C1 現行の「高等学校学習指導要領解説(理科編・理数編)」p. 91にある「単なる計算問題に流れる恐れのある事象については定性的な面に重点を置くように努めた。しかし、あくまでも、物事を定量的に記述し、理解するという自然科学の大原則の範囲内での定性化であることに留意する必要がある。」という指摘を生かす。
提言C2 物質の科学は,物質の多様性の中から一定の法則を帰納しあらためて厳密な理論によってその演繹的な理解を進める、というように発展して来た。「科学的な自然観の養成」には物質の多様性についての教育が不可欠である。このことは、小中高での理科教育にも当てはまる。
提言C3 自然科学の発展の歴史は、古今東西の科学者の段階的な学習の積み重ねに他ならない。従来の小中高の科学教育には、この段階的な学習の原則を意図的に排除するきらいがあった。この悪しき風習を止めねば、わが国の科学教育は国際的にも立ち後れてしまう。
提言C4 現行の「化学II」では、「生活と物質」と「生命と物質」の何れか を選択学習するようになっている。本来両者に重なる事項は非常に多いのに、それを機械的に分断して教育することは極めて非科学的である。両者を再編成してより効率よく教育することが可能である。
提言C5 化学では物質の量の大小についての認識が極めて重要なので、指数と対数の正しい理解は不可欠である。特に、pHという重要な概念を常用対数 log を使わずに正しく教えることはできない。この意味において、現行の高校数学の学習指導要領は正常な科学教育を妨げている。

以上