平成20年3月発足した「化学遺産委員会」では、昨年度から事業の一環として新たに、世界に誇る我が国化学関連の文化遺産を認定し、それらの情報を社会に向けて発信する『化学遺産認定事業』を開始し、その第1回として6件を認定し、平成22年3月の第90春季年会において顕彰いたしました。 本年度第2回については、認定候補を本会会員のみならず会員以外からも広く公募し、応募のあった候補を含め傘下の「化学遺産調査委員会」において、委員が認定候補の具体的な内容、現況、所在、歴史的な意義などを実地調査し、その調査結果に基づき慎重に検討のうえ4件を認定候補として選考いたしました。さらに化学遺産委員会では、委員会関係者とは異なる学識経験者で構成された「化学遺産認定委員会」に審議を諮問いたしました。その結果、4件の認定候補はいずれも世界に誇る我が国化学関連の文化遺産としての歴史的価値が十分認められ、化学遺産認定候補として相応しいとの最終答申をいただきました。 この答申をうけ、化学遺産委員会では第2回認定候補4件の関係先に対し、日本化学会「化学遺産」として認定・登録することについてご承諾をいただき、本年1月開催の理事会に諮りました。その結果、認定候補4件いずれも化学遺産として認定することが全会一致で承認されました。今回認定されました4件は下記のとおりです。 |
1857年に長崎の商館医としてオランダから来日した軍医ポンペ(ポンぺ・ファン・メールデルフォート)(1829~1908)は医学伝習所において1859年1月から4月にかけて行った医学・化学などの講義を行った。この化学講義の底本となったのはドイツ人ルドルフ・ワグネル(1822~1880)の著書のオランダ語訳書「De Scheikunde」である。この講義を弟子の一人である松本良順(後に幕府医学所頭取、明治政府初代軍医総監)らがオランダ語の筆記体で記録した講義録が「朋百舎密書」(ぽんぺせいみしょ)と名付けられ、現在、島根県松江市の松江赤十字病院にその無機化学の部分2冊だけが残されている。ポンペによるこの日本最初の化学講義が我が国の化学の始まりに果たした役割は非常に大きく、その実際の有様を伝える本資料は貴重な化学遺産である。
川本幸民(1810~1871)は三田藩医から幕府の蕃書調所の教授となり、同所内に1860年に設置された精錬方(のちに化学方)の主任を務めた。1861年の翻訳『化学新書』は原子や当量、化学式などを示し、「化学」の語を書名にもった我が国最初の本である。日本学士院には本書を含め、川本家から寄贈された幸民と長男清一の資料が所蔵されている。それらのうちから化学関係の14点を化学遺産として認定する。これには自筆書き込みのある『化学新書』稿をはじめ、訳稿、翻訳メモのほか、自製の写真機で撮影したと推測される幸民と妻秀子の写真も含まれ貴重な化学遺産である。
セルロイドは世界初の汎用樹脂であり、日本では1908 年設立の堺セルロイド㈱(大阪府)および日本セルロイド人造絹糸㈱(兵庫県。現在のダイセル化学工業(株)網干工場)が初めて製造し、1937 年には世界一の生産量を誇った。用途は、キューピー人形などの玩具・眼鏡フレーム・ピンポン球・筆箱や下敷きなど、身の回りで広く愛用された。しかし戦後の石油化学樹脂の隆盛に押され、また燃えやすさによる事故の多発もあり衰退、1996年国内生産の幕は閉じられた。本認定化学遺産は、我が国セルロイド工業の発祥・隆盛を現在に伝える貴重な建物と資料である。
(上)セルロイド人形
(ダイセル異人館展示物)
(下)セルロイド生地の
圧搾工程(1917年)
わが国では、幕末に鹿児島などで試験的にガラス製ビン類、食器類が作られた。明治に入り、西欧から設備・技術を輸入し、1873年の興業社をはじめ、何度か国営、民営事業により板ガラスの工業化が試みられたが、いずれも失敗した。岩崎俊弥は1907年に旭硝子㈱を設立し、ベルギーの手吹円筒法を導入して尼崎に工場を建設し、1909年にわが国で初めて手吹きによる板ガラスの工業生産に成功した。続いて1914年には戸畑(牧山)にラバース式機械吹き板ガラス工場、1916年に鶴見に同様の工場を建設した。認定化学遺産は、板ガラス生産の中間製品である手吹円筒およびラバース式機械吹き円筒ならびに手吹き円筒の製作に用いられた吹棹であり、この円筒を再び加熱して縦に開き板ガラスを製作したもので、我が国板ガラス工業の発祥とその製造法の特徴を示す貴重な資料である。